基本情報
大墓公 阿弖流為 / 大墓公 阿弖利為(たものきみ あてるい、たものきみ あてりい、延暦21年8月13日〈ユリウス暦802年9月13日、先発グレゴリオ暦802年9月17日〉)は、日本の奈良時代末期から平安時代初期の古代東北の人物。続日本紀では「阿弖流爲」、日本紀略では「大墓公阿弖利爲」。 8世紀末から9世紀初頭に陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)で活動した蝦夷(えみし)の族長とされる。史実にはじめて名前がみえるのは、古代日本の律令国家(朝廷)による延暦八年の征夷のうち巣伏の戦いにおいて、紀古佐美率いる官軍(朝廷軍)の記録中である。その後延暦二十年の征夷が終結した翌年胆沢城造営中の坂上田村麻呂の下に盤具公母禮とともに降伏し、田村麻呂へ並び従い平安京へ向かい、公卿会議で田村麻呂が陸奥へと返すよう申し出たことに対して公卿達が反対したため河内国杜山(椙山、植山とも)で母禮とともに処刑された。 なお、本来の名前は前述の通りだが、本項では「アテルイ」として解説する。また必要に応じて「大墓公阿弖流為(大墓公阿弖流爲)」「大墓公阿弖利為(大墓公阿弖利爲)」「阿弖流為(阿弖流爲)」「阿弖利為(阿弖利爲)」「大墓公」と表記する。
名前 | アテルイ |
よみ | あてるい |
性別 | 男性 |
生年 | 不詳 |
没年 | 802年 |
別名義 | 阿弖流為 |
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