基本情報
水野 忠元(みずの ただもと、天正4年(1576年) - 元和6年10月6日(1620年10月31日))は、江戸時代初期の大名。下総山川藩の初代当主。忠元系水野家初代。水野忠守の三男。正室は三浦為春(紀州徳川家家臣)の娘。子は水野忠善(長男)、水野忠久(次男)、娘(有馬豊長正室)、娘(水野重良正室)、娘(佐野政信室)。従五位下、大監物。 2代将軍・徳川秀忠の側近として幕政に携わる。慶長10年(1605年)叙任し、小姓組番頭に就任。同時期の小姓組番頭は他に五名おり、それぞれ、井上正就、板倉重宗、日下部正冬、大久保教隆、成瀬正武。 大坂冬の陣、大坂夏の陣に参戦し、元和元年(1615年)に西丸書院番頭に転じる。同年、下総国・下野国・近江国において3万5000石の領地を与えられ、大名に列する(山川藩)。元和6年(1620年)死去。墓所は愛知県東浦町の乾坤院。 なお、水野家(唐津・浜松藩)では、初代忠元が諸侯に列したことを記念して、領地ではないが許可を得て、11代忠邦までの墓所が山川(茨城県結城市)につくられている。
名前 | 水野忠元 |
よみ | みずの ただもと |
性別 | 男性 |
生年 | 1576年 |
没年 | 1620年 |
ランキング
出演情報
独眼竜政宗(1987年)
角野卓造
出典:NHK
タイトル | 役者/年齢 | 役名/出演回数 |
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1987年 | 角野卓造 | 水野忠元 |
独眼竜政宗 | 当時38歳 | 2回/全50回 |