木下勝俊

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豊臣家

基本情報

木下 勝俊(きのした かつとし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名、歌人。 初め龍野城主で、次いで若狭小浜城(後瀬山城)主で、官位が従四位下式部大夫、左近衛権少将であったので、通称を、式部大輔、若狭少将または若狭宰相という。龍野城主時代には龍野侍従ともいった。一時期はキリシタンでもあって洗礼名は「ペテロ」(ペドロ)と伝わる。歌人としては長嘯(ちょうしょう)または長嘯子(ちょうしょうし)、あるいは挙白(きょはく)、天哉爺(てんかおう)など様々の称を用いた。一般には木下長嘯子の名が高名。 関ヶ原の戦いでは東軍に属して伏見城留守居の将とされたが、鳥居元忠に退去を迫られ、これに従った結果、敵前逃亡したと戦後に責められて改易された。次いで父家定の備中足守藩を継いで第2代藩主となったが、異母弟利房と遺領を争って公儀の沙汰で所領没収とされた。以後、京の東山に隠棲して文人となった。作風は近世初期における歌壇に新境地を開いたものとされ、その和歌は俳諧師松尾芭蕉にも影響を与えた。

名前木下勝俊
よみきのした かつとし
性別男性
生年1569年
没年1649年

血縁情報

兄弟

ランキング

登場作品
21位/21位
1回
演者平均
236位/395位
33歳
寿命
22位/102位
80歳

出演情報

大和田伸也

おんな太閤記(1981年)

大和田伸也

出典:NHK

タイトル役者/年齢役名/出演回数
1981年大和田伸也木下勝俊
おんな太閤記当時33歳3回/全50回

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できごと年代
関ヶ原の戦い1600年

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