仁科盛信
にしな もりのぶ(1557-1582)
登場回数:1作
別名:武田晴清
仁科 盛信(にしな もりのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。家紋は、割り菱紋と丸に割り菱紋。 末期に織田信長の甲州征伐に際して一族・重臣の逃亡や寝返りが続く中、高遠城(高遠城の戦い)において最後まで抵抗し、討死した。 諱は盛信のほか、近世の系図類・編纂物では「晴近」とする資料もあるが、父・晴信が将軍・足利義晴から授与された「晴」の偏諱を授与することは社会通念上ありえないことから、疑問視されているp.207。また、天正9年(1581年)5月7日付霊松寺宛禁制や『甲乱記』では「信盛」とする用例があり、天正9年2月から同年5月の間に、高遠入城を契機に改名した可能性が考えられている。長野県歌『信濃の国』でも「仁科の五郎信盛」と歌われている。