九条兼実
くじょう かねざね(1149-1207)
登場回数:5作
九条 兼実(くじょう かねざね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家、関白・藤原忠通の六男。官位は従一位・摂政・関白・太政大臣。月輪殿、後法性寺殿とも呼ばれる。通称は後法性寺関白(ごほっしょうじ かんぱく)。五摂家の一つ、九条家の祖であり、かつその九条家から枝分かれした一条家と二条家の祖でもある。五摂家のうちこの3家を九条流という。 摂政・関白藤原忠通の六男。母は、家女房で太皇太后宮大進・藤原仲光の娘・加賀。同母兄弟4人の中の長子である。同母弟には、太政大臣となった兼房・天台座主となった慈円などが、また異母兄には近衛基実、松殿基房が、異母弟には興福寺別当となった信円らがいる。 兼実が40年間書き綴った日記『玉葉』は、当時の状況を知る上での一級史料となっている。