鳥居忠房
とりい ただふさ(1606-1637)
登場回数:1作
鳥居 忠房(とりい ただふさ、慶長11年(1606年)- 寛永14年7月14日(1637年9月2日)は、甲斐谷村藩の第2代藩主。初代藩主・鳥居成次の長男。幼名太郎八。正室は有馬豊氏の娘。官位は従五位下、淡路守。 寛永元年(1624年)に五位下淡路守に叙任、同8年(1631年)、父の死去により跡を継ぐ。同時に徳川忠長の附家老にもなったが、翌年6月2日、忠長が幕命により改易されると連座によって改易され、一族の出羽山形藩主・鳥居忠恒預かりとなって、山形で蟄居を余儀なくされた。寛永13年(1636年)9月18日に赦免されたが、翌年7月に32歳で死去した。家督は弟の忠春が継いだ。法号は宗忠。