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近松門左衛門

ちかまつ もんざえもん(1653-1725)
登場回数:2作

近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん、承応2年〈1653年〉 - 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉)とは、江戸時代の浄瑠璃および歌舞伎の作者。本名は杉森 信盛(すぎもり のぶもり)。平安堂、巣林子(そうりんし)、不移山人(ふいさんじん)と号す。家紋は「丸に一文字」。
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金子孫二郎

かねこ まごじろう(1804-1861)
登場回数:4作

金子 孫二郎(かねこ まごじろう)は、幕末の水戸藩の郡奉行である。尊王攘夷派志士。
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九条道房

くじょう みちふさ(1609-1647)
登場回数:1作

九条 道房(くじょう みちふさ)は、江戸時代前期の公家。藤原氏摂関家九条流の九条家の当主。摂政・左大臣に昇った。初名は忠象(ただかた)。徳川家光の甥にあたる。
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熊谷直実

くまがい なおざね(1141-1207)
登場回数:3作

熊谷 直実(くまがい なおざね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。武蔵国熊谷郷(現・埼玉県熊谷市)を本拠地とした。熊谷直貞の次男。 熊谷氏は桓武平氏・平貞盛の孫・維時(これとき)の6代の孫を称するが、武蔵七党の私市党、丹波党の分かれともされ、明らかではない。直実の祖父・平盛方(もりかた)が勅勘をうけたのち、父直貞の時代から大里郡熊谷郷の領主となり、熊谷を名乗った。 平家に仕えていたが、石橋山の戦いを契機として源頼朝に臣従し御家人となる。のちに出家して法然の門徒となり蓮生(れんしょう / れんせい)と号した。 『平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎討ちは、直実は敦盛とともにこの故事の主人公として、能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』といった作品に取り上げられている。 なお、熊谷市では、通称を組み合わせた「熊谷次郎直実」の名で紹介している。
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傑山宗俊

けっさん そうしゅん(?-1592)
登場回数:1作

傑山 宗俊(けっさん そうしゅん、生年不詳 - 天正20年12月5日(1593年1月7日))は、戦国時代の僧侶。 臨済宗龍潭寺三世住職。
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顕如

けんにょ(1543-1592)
登場回数:5作

顕如(けんにょ、正字体:顯如)は、戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第11世宗主、真宗大谷派第11代門首。石山本願寺住職。 顕如は号で、諱は光佐(こうさ)、法主を務めた寺号「本願寺」を冠して本願寺光佐(ほんがんじ こうさ)とも呼ばれる。院号は信楽院(しんぎょういん、正字体:信樂院)。法印大僧正、准三宮。父は第10世宗主の証如、関白内大臣・九条稙通の猶子。室は左大臣・三条公頼三女の如春尼。長男に真宗大谷派第12代門首の教如、次男に真宗興正派第17世門主の顕尊、三男に浄土真宗本願寺派第12世宗主の准如がいる。 宗教者でありながら武装した僧侶や信徒と共に、神仏の冒涜を繰り返した織田信長を敵とみなし、全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけて、天下統一を目前で阻止した。軍事的にも経済的にも圧倒的に有利な織田軍相手に、調略を巡らせて信長包囲網を築き10年以上にわたって激しい攻防を繰り広げたことで知られる。
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原田宗時

はらだ むねとき(1565-1593)
登場回数:1作

原田 宗時(はらだ むねとき、1565年(永禄8年)- 1593年7月(文禄2年))は、安土桃山時代の武将。伊達氏の家臣。通称は左馬之助(左馬助)。
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源経基

みなもと の つねもと(?-961)
登場回数:1作

源 経基(みなもと の つねもと、源 經基)は、平安時代中期の皇族・武将。経基流清和源氏の初代。 『保元物語』によれば、父は清和天皇の第6皇子・貞純親王で、母は右大臣・源能有の娘。皇族に籍していたとき「六孫王」と名乗ったとされるが、当時の文献には見られない。居館は六宮とも八条御所ともいう。
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源有綱

みなもと の ありつな(?-1186)
登場回数:1作

源 有綱(みなもと の ありつな)は、平安時代末期の武将。伊豆守源仲綱の次男。大内守護源頼政の孫。
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古今亭圓菊

ここんてい えんぎく(1928-2012)
登場回数:1作

二代目 古今亭 圓菊(ここんてい えんぎく、1928年4月29日 - 2012年10月13日)は、静岡県出身の落語家。出囃子は『武蔵名物』。紋は『裏梅』。本名∶藤原 淑。長男は同じく落語家の三代目古今亭圓菊。
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