偉人

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佐久間盛重

さくま もりしげ(?-1560)
登場回数:3作

佐久間 盛重(さくま もりしげ)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。通称は大学助で、佐久間大学の名でも知られる。
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佐伯景弘

さえき の かげひろ(?-?)
登場回数:1作

佐伯 景弘(さえき の かげひろ、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての人物。佐伯頼信の子。厳島神社の神主。
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斎京村隆

さいきょう むらたか(?-1603)
登場回数:1作

斎京 村隆(さいきょう むらたか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武士。上杉氏の家臣。
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細川ガラシャ

ほそかわ ガラシャ(1563-1600)
登場回数:12作
別名:秀林院/明智玉/明智珠

細川 ガラシャ(伽羅奢、迦羅奢、Gracia) / 明智 玉(子)(明智 珠(子))(ほそかわ ガラシャ / あけち たま(たまこ)、永禄6年(1563年)- 慶長5年7月17日(1600年8月25日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。明智光秀の三女で細川忠興の正室。諱は「たま」(玉/珠)または玉子(たまこ)。法名は秀林院(しゅうりんいん)。キリスト教徒(キリシタン)。 子に、於長(おちょう:前野景定正室)、忠隆、興秋、忠利、多羅(たら:稲葉一通室)などがいる。
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細川隆是

ほそかわ たかよし(?-1565)
登場回数:1作

細川 隆是(ほそかわ たかよし)は、戦国時代の武将。大内氏、足利将軍家の家臣。官位は宮内少輔。
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阪上安太郎

さかがみ やすたろう(1912-1984)
登場回数:1作

阪上安太郎(さかがみ やすたろう、1912年1月9日 - 1984年2月27日)は、日本の政治家、衆議院議員(6期)であり、水球選手でもある。衆議院功労議員として表彰された。
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三浦啓之助

みうら けいのすけ(1848-1877)
登場回数:2作
別名:佐久間恪二郎

三浦 啓之助(みうら けいのすけ、嘉永元年11月11日(1848年12月6日) - 明治10年(1877年)2月26日)は、日本の武士・新選組隊士。
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三条公頼

さんじょう きんより(1495-1551)
登場回数:1作

三条 公頼(さんじょう きんより)は、戦国時代の公卿。太政大臣・三条実香の子。官位は従一位・左大臣。後龍翔院左大臣を号す。三条家16代当主。
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三淵藤英

みつぶち ふじひで(?-1574)
登場回数:2作

三淵 藤英(みつぶち ふじひで)は、戦国時代の武将、室町幕府末期の幕臣(奉公衆)。三淵晴員の子。異母弟に細川藤孝。初名は藤之、のち藤英。「藤」の字は将軍・足利義藤(後の義輝)より偏諱を賜ったもの。
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山高親之

やまたか ちかゆき(1509-1566)
登場回数:1作

山高 親之(やまたか ちかゆき)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。 山高氏は甲斐武田氏の庶流。甲斐国巨摩郡山高を領した。 親之は武川衆十二騎でも随一と称されたという。武田信虎・信玄の二代に仕え、後に信玄の弟・武田信繁配下となる。永禄4年(1561年)、第四次川中島の戦いに出陣するが、信繁はこの合戦で討死してしまう。そこで親之はその首級を敵より奪還し、信玄の下へ帰還した。 永禄9年(1566年)、死去。父と同じく山高村の高龍寺に葬られた。
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