偉人

偉人

壬生基修

みぶ もとおさ(1835-1906)
登場回数:3作

壬生 基修(みぶ もとおさ)は、幕末から明治にかけての公卿、政治家。庭田重基の三男で、壬生道吉の養子。室は重子(四辻公績の四女)。
偉人

水野忠央

みずの ただなか(1814-1865)
登場回数:1作

水野 忠央(みずの ただなか)は、紀伊新宮藩(紀州藩附家老)第9代藩主。第8代藩主・水野忠啓の長男。官位は従五位下・土佐守。通称は藤四郎。号は丹鶴、鶴峯。
偉人

杉山元

すぎやま げん(1880-1945)
登場回数:1作

杉山 元(すぎやま げん/はじめ、1880年〈明治13年〉1月1日 - 1945年〈昭和20年〉9月12日)は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将。 福岡県出身。陸軍士官学校卒業(12期)、陸軍大学校卒業(22期)。陸軍大臣、教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。 陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなったのは二人しかいない(もう一人は上原勇作)。
スポンサーリンク
偉人

瀬戸方久

せと ほうきゅう(1525-1606)
登場回数:1作

瀬戸 方久(せと ほうきゅう)は、戦国時代の商人、武将。
偉人

正親町町子

おおぎまち まちこ(1675-1724)
登場回数:4作

正親町 町子/田中 町子(おおぎまち まちこ/たなか まちこ、延宝3年(1675年)? - 享保9年3月11日(1724年4月4日))は、江戸幕府の大老格・柳沢吉保の側室、また歌人、文学者。初名は弁子。 出自については権大納言・正親町実豊と側室の田中氏との間の娘とする説があり、正親町公通の異母妹とされる。一方で正親町公通を実父とし、公通と水無瀬氏信の娘の間の子とする説もある。16歳で江戸に下り、将軍徳川綱吉の側近である柳沢保明(のち吉保)の側室となる。一大名の側室としては家格が高すぎるため、母方の姓である田中氏を名乗ったという。吉保との間に柳沢経隆・柳沢時睦の二男がいる。 町子の実父を正親町公通にする説に立つと、公通は霊元天皇の使者としてたびたび江戸へ赴いており、柳沢吉保は霊元天皇から和歌の添削を受け、六義園十二境を定められ参禅録の題を授けられるなど、霊元天皇は吉保に文芸面において影響を及ぼしている。また、この場合に町子の母となる水無瀬氏信の娘は新上西門院房子(鷹司房子)の侍女として「常磐井」を名乗り、房子の伯母にあたる浄光院殿信子(鷹司信子)が将軍綱吉の御台所として江戸へ下向すると、常磐井は「右衛門佐局」と改名して信子に従い江戸へ赴き、江戸城大奥総取締役を務めている。このため、正親町公通を町子の実父とする説に立つと、町子はこうした両親の縁を背景に吉保の側室となったとも考えられている。 なお、享保末年以降に成立した『柳営婦女伝系』では町子の出自について、右衛門佐局の養子となった浪人の田中半蔵(のちに桃井内蔵助と改名)が後妻の姪を養女にしたもので、実父も分からない妓女であると記述されている。 町子は公家的な教養をもつ文学者としても知られ、吉保一代の半生を平安朝の『源氏物語』に倣って記した日記文学『松蔭日記(松家気)』を記している。江戸時代から秘本として知られていた。江戸時代における宮廷文化の残滓として注目されている。「松家気(松かげ)」は松と松に絡みつき花を咲かせる藤を指し、天皇や将軍・吉保など一連の人物を松の木と藤に例え繁栄を願った意図があると考えられている。 『松蔭日記』の刊本には1979年刊行の古谷知新編『江戸時代女流文学全集』本や、2004年に刊行された上野洋三校注の岩波文庫本がある。 墓所は東京都新宿区河田町の月桂寺。
偉人

清原武貞

きよはら の たけさだ(?-?)
登場回数:1作

清原 武貞(きよはら の たけさだ、生没年不詳)は、平安時代後期東北地方の武将。奥羽の豪族。清原武則の子。通称は荒川太郎。鎮守府将軍従五位下であったとの史料がある清原貞衡の別名との説がある。
偉人

西園寺公宗

さいおんじ きんむね(1310-1335)
登場回数:1作

西園寺 公宗(さいおんじ きんむね)は、鎌倉時代後期から南北朝時代(建武の新政期)にかけての公卿。内大臣・西園寺実衡の子。官位は正二位・権大納言。
偉人

西光

さいこう(?-1177)
登場回数:5作
別名:藤原師光

西光(さいこう、生年不詳 - 安元3年6月3日(1177年6月30日))は、平安時代後期の官人・僧侶。俗名は藤原 師光(ふじわら の もろみつ)。阿波国の豪族・麻植為光の子。藤原北家魚名流、中納言・藤原家成の養子。官位は六位・左衛門尉。後白河院の近臣。
偉人

青木昆陽

あおき こんよう(1698-1769)
登場回数:1作

青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日〈1698年6月19日〉 - 明和6年10月12日〈1769年11月9日〉)は、江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。サツマイモの普及を図り、甘藷先生(かんしょせんせい)と呼ばれる。名は敦書(あつのり、あつぶみ)、字は厚甫(原甫とも)、通称は文蔵、昆陽と号した。
偉人

石束毎公

いしづか つねよし(1641-1713)
登場回数:1作

石束 毎公(いしづか つねよし、寛永18年(1641年) - 正徳3年7月25日(1713年9月14日))は、江戸時代前期の武士。豊岡藩京極家の筆頭家老。通称は宇右衛門(うえもん)・源五兵衛(げんごべえ)。
スポンサーリンク