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岡崎恭助

おかざき きょうすけ(1843-?)
登場回数:2作
別名:岡崎恭輔
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ルイス・ペレス・ダスマリニャス

るいす・ぺれす・だすまりにゃす(1567-1603)
登場回数:1作
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岡野治太夫

おかの じだゆう(?-?)
登場回数:1作
別名:岡野正治

江戸時代前期の武士。不破数右衛門の父。
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アベリー・ブランデージ

あべりー・ぶらんでーじ(1887-1975)
登場回数:1作

アベリー・ブランデージは、アメリカ合衆国のスポーツ選手で、国際オリンピック委員会(IOC)の第5代会長などを務めたスポーツ界の重鎮。その親ナチス的・ 反ユダヤ的な態度、あるいは人種主義的とも取れる言動は、たびたび論争の的となった。 なお名の「アベリー・ブランデージ」はIOC会長当時に日本の報道で使われることの多かった不正確なカナ転写が定着してしまったもので、原語での実際の発音はエイヴリー・ブランデッジに近いものとなる。また今日ではエイベリー・ブランデージの表記も散見するようになった。
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お亀の方

おかめのかた(1573-1642)
登場回数:2作

お亀の方(おかめのかた、天正元年(1573年) - 寛永19年9月16日(1642年10月9日))は、徳川家康の側室。徳川義直の生母。石清水八幡宮の祀官家・田中氏(紀姓田中氏)の分家である京都正法寺・志水宗清の娘。母は東竹甲清の娘・龍雲院。
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サミュエル・ウィリアムズ

さみゅえる・うぃりあむず(1812-1884)
登場回数:3作

サミュエル・ウェルズ・ウィリアムズ(Samuel Wells Williams、中国名:衛三畏、1812年9月22日 - 1884年2月18日)は、19世紀中ごろのアメリカ合衆国出身の言語学者・外交官・宣教師・中国学者。ペリー艦隊の通訳として来日(1853年、1855年)。その後も在中国アメリカ公使館書記兼通訳官として数回来日し、日本宣教の必要性を母国に訴えてアメリカ人による日本宣教の機運をつくる。中国でのキリスト教宣教の公認条項を含む天津条約の締結(1858年)に尽力。1876年帰米後はエール大学で教鞭をとった。ウィリアムズが出版した英中辞典『英華字彙(じい)』(1869年)は日本の初期英学研究に貢献した。
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チャブイ

ちゃぶい(?-1281)
登場回数:1作

チャブイは、モンゴル帝国(元)のカアン、世祖クビライの皇后。 コンギラト部族の出身で、父のアルチ・ノヤン(按陳那顔)はチンギス・カンの第一夫人ボルテの弟である。伯母ボルテの孫にあたるクビライと結婚し、夭折したドルジと、後にクビライ政権で活躍するチンキム、マンガラ、ノムガンの4子を産んだ。 チャブイはチンギス・カン家の姻族としてモンゴル帝国の中でも特に有力な部族の出であり、実家のコンギラト部族をはじめとする五投下と呼ばれる部族集団は、兄である皇帝モンケによって中国の経略を委ねられたクビライを支えて活躍した。特に同母姉が嫁いだジャライル部のムカリの子・ボオルの三男バアトルはクビライの腹心となり、1259年のモンケ死後のクビライのカアン位奪取に功があった。またチャブイ自身、その宮廷(オルド)にアフマドら有能な商人を個人的な用人に集めて利殖を行い、財産を蓄えて勢力があった。 1271年にクビライが樹立した元では、次男のチンキムが燕王、三男のマンガラが安西王、四男のノムガンが北平王に封ぜられ、それぞれが中国北部、中国西部、モンゴル高原を分担して統治した。中央政府ではチンキムが行政機関である中書省と軍政機関の枢密院を統括し、さらにバアトル夫妻の子でチャブイの甥にあたるアントンが中書省の長官となった。加えて、クビライによって新設された財務部局の長官として、チャブイの用人であるアフマドが抜擢され、元の政権中枢部にチャブイの縁者によって占められるようになった。このような状況を指して、大元王朝とはチャブイを扇の要とするコンギラト政権であったと評価する歴史家もいる。 やがて、中央政府で実権を握るチンキムの権勢が高まり、1273年に皇太子の称号を与えられるが、同時にチャブイには皇后の印璽が与えられた。この頃、帝国の財務部門を握り、中書省の勢力をアントンと二分するアフマドの権勢も高まり、その党派がチンキム・アントンのもとに集まったモンゴル貴族・漢人官僚と反目を深めていくが、両者の接点としてチャブイがあったために、対立は決定的なものにはならなかった。 1281年にチャブイが死ぬと、たちまちチンキム派とアフマド派の反目は激化し、翌年にはアフマドの暗殺に至る。 1294年2月18日(至元31年1月癸酉)にクビライが没し、同年6月3日(5月戊午)に聖徳神功文武皇帝と諡され、廟号を世祖とすると、チャブイも昭睿順聖皇后と追諡を受けた。 チャブイの築いた莫大な財産は、同じコンギラト部族出身のチンキムの夫人ココジンが相続した。
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ヘンリー・ヒュースケン

へんりー・ひゅーすけん(1832-1861)
登場回数:9作

ヘンリー・コンラッド・ジョアンズ・ヒュースケンは、幕末伊豆国下田の玉泉寺に設置された駐日アメリカ総領事館の通弁官(通訳)。攘夷派によって暗殺された。
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ルイス・フロイス

るいす・ふろいす(1532-1597)
登場回数:5作

ルイス・フロイス(葡: Luís Fróis [luˈiʃ frɔjʃ]、1532年 - 1597年7月8日(慶長2年5月24日))は、ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を記したことで有名。
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阿部忠秋

あべ ただあき(1602-1675)
登場回数:3作

阿部 忠秋(あべ ただあき)は、江戸時代前期の下野壬生藩・武蔵忍藩主。徳川家光・家綱の2代にわたって老中を務めた。同じく老中の阿部重次は従兄にあたる。忠秋系阿部家初代。
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