偉人

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久昌院

きゅうしょういん(1604-1662)
登場回数:1作
別名:谷久子

久昌院(きゅうしょういん、慶長9年(1604年) - 寛文元年11月14日(1662年1月4日))は、常陸水戸藩初代藩主・徳川頼房の側室。水戸藩2代藩主・徳川光圀及び高松松平家の祖・松平頼重の生母。父は谷重則。母は伊藤七郎兵衛の娘。名は久子。
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宮本武蔵

みやもと むさし(1584-1645)
登場回数:2作
別名:新免武蔵

宮本 武蔵(みやもと むさし)は、江戸時代初期の剣術家、大名家に仕えた兵法家、芸術家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名である。 後世、演劇・小説・漫画・映画やアニメなど様々な映像作品の題材になり、現代では「剣豪」または「剣聖」と呼ばれることもある。特に吉川英治の小説『宮本武蔵』が有名であるが、史実と異なった創作が多いことに注意する必要がある。 外国語にも翻訳され出版されている自著『五輪書』には十三歳から二十九歳までの六十余度の勝負に無敗と記載がある。 絵画や武具・馬具づくりも能くした。国の重要文化財に指定された『鵜図』『枯木鳴鵙図』『紅梅鳩図』をはじめ『正面達磨図』『盧葉達磨図』『盧雁図屏風』『野馬図』といった水墨画や鞍、木刀などの工芸品が各地の美術館に収蔵されている。 島田美術館が所蔵する有名な肖像画は作者不詳であるが、身体を緩めている様は『五輪書』が説く極意に一致しており、自画像とする説もある。
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橋本欣五郎

はしもと きんごろう(1890-1957)
登場回数:1作

橋本 欣五郎(はしもと きんごろう、1890年(明治23年)2月19日 - 1957年(昭和32年)6月29日)は、昭和時代の日本の陸軍軍人、政治家(衆議院議員1期)。右翼活動家。たびたびクーデターを試みたが失敗し、極東国際軍事裁判(東京裁判)で訴追された。通称「ハシキン」。
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近衛家熙

このえ いえひろ(1667-1736)
登場回数:1作

近衛 家熙(このえ いえひろ)は、江戸時代前期から中期にかけての公家。後陽成天皇の男系四世子孫である。
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近藤たま

こんどう たま(1862-1886)
登場回数:1作

近藤たま(こんどう たま、文久2年2月15日(1862年3月15日) - 明治19年(1886年)6月28日)は、明治時代の女性。新選組局長近藤勇の娘。母は松井つね。名は主に瓊と表記。
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金上盛備

かながみ もりはる(1527-1589)
登場回数:1作

金上 盛備(かながみ もりはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。蘆名氏一族・金上氏15代当主。越後国蒲原郡津川城主。その卓越した政治手腕から「蘆名の執権」と呼ばれた。
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九条任子

くじょう たえこ(1173-1239)
登場回数:1作

九条 任子(くじょう たえこ/にんし、承安3年9月23日(1173年10月31日) - 暦仁元年12月28日(1239年2月3日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての后妃、女院。後鳥羽天皇の中宮。父は摂政関白九条兼実。母は中宮職藤原季行の女・兼子。院号は宜秋門院(ぎしゅうもんいん)。法名は清浄智。所生に昇子内親王(春華門院)がいる。
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熊谷直之

くまがい なおゆき(?-1595)
登場回数:2作

熊谷 直之(くまがい なおゆき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。別名は直澄(なおずみ)。官途は従五位下・大膳亮。通称は伝左衛門。若狭国三方郡大倉見城(井崎城)主。武田四老の一人。
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穴山信君

あなやま のぶただ(1541-1582)
登場回数:10作
別名:穴山信良/穴山梅雪

穴山 信君(あなやま のぶただ )は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐武田氏の家臣で御一門衆の一人。穴山氏7代当主。 壮年期(永禄8年頃)に剃髪して梅雪斎不白と号したので、穴山 梅雪(あなやま ばいせつ)の名でも知られる。後代には武田二十四将の一人に含まれており、南松院所蔵本では信玄の傍らに配置されている。信玄末期より仕え勝頼期にも重臣として仕えたが、織田信長の甲州征伐が始まると武田氏を離反した。
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元良勇次郎

もとら ゆうじろう(1858-1912)
登場回数:1作

元良 勇次郎(もとら ゆうじろう、安政5年11月1日(1858年12月5日) - 大正元年(1912年)12月13日)は、日本最初の心理学者である。旧姓は杉田、1881年に元良家の養子となる。墓所は青山霊園。
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