偉人

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林忠五郎

はやし ちゅうごろう(1838-1864)
登場回数:2作

林 忠五郎(はやし ちゅうごろう)は、幕末の水戸藩士。
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鈴木重秀

すずき しげひで(?-?)
登場回数:1作

鈴木 重秀(すずき しげひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての紀伊国の国人。雑賀党鈴木氏の一族で、鉄砲傭兵集団雑賀衆の有力者。通称は孫一(重秀本人の自著による)。
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和田胤長

わだ たねなが(1183-1213)
登場回数:2作

和田 胤長(わだ たねなが)は、鎌倉時代前期の御家人。和田義盛の甥。弓の名手と伝わる。
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忻都

きんと(?-?)
登場回数:1作

忻都(きんと、生没年不詳)は、元のモンゴル人武将。名前の原音はモンゴル語・テュルク諸語でインドを意味する「ヒンドゥ」が近いとされている。 日本遠征の準備のために高麗に設けられた屯田を監督する鳳州経略使に任じられ、洪茶丘とともに遠征の準備と並行して三別抄の反乱を鎮圧する。至元11年(1274年)、都元帥として高麗を経て日本に侵攻する(文永の役)。北九州に上陸したものの日本軍によって進撃を阻止され、夜に入って撤退、帰途は暴風雨のため多大の被害を蒙った。 至元17年(1280年)、日本再征を具申し、日本行省右丞に任ぜられ、至元18年(1281年)、征東元帥として東路軍を率いて北九州に侵攻するも、元寇防塁によって上陸を阻止され敗退した。その後も忻都率いる東路軍は志賀島を占領し軍船の停泊地とするも、日本軍の総攻撃により大敗し志賀島を放棄して壱岐島へと逃れた。続いて日本軍は壱岐島の東路軍に総攻撃を敢行した。日本軍との戦闘による苦戦と江南軍が到着した報せに接した忻都は壱岐島を放棄して、江南軍の待つ平戸島を目指した。平戸島近海で江南軍と合流するも、暴風雨に遭い、大損害を被り、辛うじて高麗へ逃れた(弘安の役)。
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蜷川親元

にながわ ちかもと(1433-1488)
登場回数:1作

蜷川 親元(にながわ ちかもと、永享5年(1433年) - 長享2年5月25日(1488年7月4日))は、室町時代の幕府官僚・歌人。足利義政・足利義尚将軍期の政所代。蜷川新右衛門親当(智蘊)の子で、法名は道寿、号は不白。また、蜷川氏当主は代々「新右衛門尉(しんえもんのじょう)」を名乗っている。子に親孝。 政所執事伊勢貞親・貞宗に仕える。文明5年(1473年)8月に政所執事代に就任し、将軍家の家産を司った。能書家として知られ、武家故実にも通じていた。日記に『親元日記』がある。
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桂広繁

かつら ひろしげ(?-1615)
登場回数:1作
別名:弁慶丸

桂 広繁(かつら ひろしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏、小早川氏の家臣。官途名は民部大輔。桂元澄の五男。兄に元延、元貞、元親、景信、弟に元盛がいる。子は桂鎮繁、桂繁次、桂包政(鎮澄)。桜尾城主。
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谷梅処

たに ばいしょ(1843-1909)
登場回数:3作
別名:おうの

谷 梅処(たに ばいしょ、天保14年(1843年) - 明治42年(1909年)8月7日)は、幕末から明治時代を生きた尼。元は下関裏町の芸妓で源氏名は「此の糸(このいと)」。通称は「おうの」といい、高杉晋作の愛妾として知られる。
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中村文荷斎

なかむら ぶんかさい(?-1583)
登場回数:1作

中村 文荷斎(なかむら ぶんかさい、生年不詳 - 天正11年4月24日(1583年6月14日))は、安土桃山時代の人物。柴田勝家の家臣。中村聞荷斎宗教とも伝わる。
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高田実

たかた みのる(1871-1916)
登場回数:1作

高田 実(たかた みのる、1871年5月8日(明治4年3月19日)- 1916年(大正5年)9月24日)は、日本の新派俳優である。
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新納中三

にいろ ちゅうぞう(1832-1889)
登場回数:1作
別名:新納刑部/新納久脩

新納 中三(にいろ ちゅうぞう/なかぞう)は、江戸時代末期(幕末)の武士。薩摩藩家老。通称の刑部でも知られる。字は久脩。諱が中三。維新後、七等判事、奄美大島島司。
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