偉人

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宇郷重国

うごう しげくに(1824-1862)
登場回数:1作
別名:宇郷玄蕃頭

宇郷 重国(うごう しげくに、文政6年12月16日(1824年1月16日) - 文久2年閏8月22日(1862年9月15日))は江戸時代末期(幕末)の九条家の諸大夫。京都出身。通称は玄蕃頭、石見守、伊豆守。 木工権頭・宇郷重幸の子。天保2年(1831年)12月に諸大夫に取り立てられ、石見守・大舎人頭・内蔵権助・伊豆守を経て玄蕃頭となった。三条実万に知遇を得て、有志者として知られていたが、主人の九条尚忠の意向により、島田左近や長野主膳らと共に安政の大獄で志士の機密を探って幕吏に密告したり、和宮降嫁実現に動いた。そのため尊王攘夷派の志士に狙われ、文久2年(1862年)閏8月22日の夜に九条家下屋敷内にあった住居で熊本藩士・堤松左衛門と薩摩藩士田中新兵衛に暗殺され、松原鴨河原において梟首された。
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市村鉄之助

いちむら てつのすけ(1854-1873)
登場回数:1作

市村 鉄之助(いちむら てつのすけ、安政元年(1854年) - 明治6年(1873年)?/明治10年(1877年)?)は、新選組隊士。
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ウォルト・ホイットマン

うぉると・ほいっとまん(1819-1892)
登場回数:1作

ウォルター・ホイットマン は、アメリカ合衆国の詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト。超越主義から写実主義への過渡期を代表する人物の一人で、作品には両方の様相が取り込まれている。アメリカ文学において最も影響力の大きい作家の一人でもあり、しばしば「自由詩の父」と呼ばれる。 ニューヨーク州ロングアイランドに生まれ、ジャーナリスト、教師、公務員として働き、南北戦争に志願看護師として従事する傍ら、詩を出版する。活動初期には、禁酒運動小説 Franklin Evans (1842年) も発表している。初め1855年に自費出版されたホイットマンの代表作『草の葉』(英語版)は、アメリカの叙事詩を市井の人々に届けようという試みであった。 ホイットマンは1892年の死まで、この作品の拡充、改訂を重ねた。それぞれの版には、時代の風潮や作者の思想の変化が反映されている。初版の巻頭詩「ぼく自身の歌」が最も広く知られている。 晩年、卒中に倒れた後は、ニュージャージー州カムデンに移り、72歳で没す。その葬儀は盛大なものであった。 ホイットマンはその詩作と同時に、セクシュアリティの点からもよく話題にされる。通常は同性愛者あるいは両性愛者とされるが、ホイットマンが実際に男性と性的関係を持ったことがあったかは明らかでない。ホイットマンは生涯を通じて政治に関わり、ウィルモット条項を支持し、基本的には奴隷制度維持に反対していたが、奴隷廃止運動には賛同しなかった。 日本では夏目漱石によって紹介された。
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西園寺公重

さいおんじ きんしげ(1317-1367)
登場回数:1作

西園寺 公重(さいおんじ きんしげ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿・歌人。内大臣・西園寺実衡の次男。権大納言・西園寺公宗の異母弟。官位は正二位・内大臣(北朝)、太政大臣(南朝)。竹林院・北山と号する。
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山口教継

やまぐち のりつぐ(?-1560)
登場回数:1作

山口 教継(やまぐち のりつぐ)は、戦国時代の武将。織田氏、今川氏の家臣。尾張国鳴海城主。
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田口卯吉

たぐち うきち(1855-1905)
登場回数:1作

田口 卯吉(たぐち うきち、安政2年4月29日〈1855年6月12日〉 - 明治38年〈1905年〉4月13日)は、日本の経済学者、歴史家、実業家、政治家、ジャーナリスト。東京府会議員、衆議院議員。法学博士。名は鉉(みつ)。卯吉は通称。字は子玉。号は鼎軒。
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高木兼寛

たかき かねひろ(1849-1920)
登場回数:1作

高木 兼寛(たかき かねひろ、嘉永2年9月15日〈1849年10月30日〉 - 大正9年〈1920年)〉4月13日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍軍医総監(少将相当)。医学博士。男爵。東京慈恵会医科大学の創設者。 脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる。当時日本の食文化では馴染みの薄かったカレーを脚気の予防として海軍の食事に取り入れた(海軍カレー)。
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ジョージ・イーストマン

じょーじ・いーすとまん(1854-1932)
登場回数:1作

ジョージ・イーストマンは、アメリカの実業家、発明家であった。イーストマン・コダックの創業者。ロールフィルムを発明。それによって連続撮影のスピードが著しく速くなり、写真機の主流となった。ロールフィルムは1888年にエドワード・マイブリッジやルイ・ル・プランスが映画用フィルムを発明する元となり、レオン・ボウリー、トーマス・エジソン、リュミエール兄弟、ジョルジュ・メリエスらによる映画の発明のための基礎技術となった。 篤志家としても有名で、ロチェスター大学のイーストマン音楽学校と医歯学部を創設し、ロチェスター工科大学(RIT)に寄付をし、マサチューセッツ工科大学(MIT)の第2キャンパスを建設し、いくつかの大学に寄付をしている。また低所得者のために、ロンドンをはじめとするヨーロッパ各地の都市に診療所建設のための基金を創設した。 晩年は病気のせいで慢性の痛みと身体の衰えに苦しんだ。1932年3月14日、「友よ、私の仕事は終わった。なぜ待つのか?」と書かれた遺書を残し、自死した。 ジョージ・イーストマン・ハウスはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されており、2012年現在は国際写真映画博物館として運営されている。
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渡辺唱

わたなべ の となう(?-1180)
登場回数:2作
別名:長七唱

渡辺 唱(わたなべ の となう)は、平安時代末期の武将。源頼政の郎党。
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島田一郎

しまだ いちろう(1848-1878)
登場回数:1作
別名:島田一良

島田 一郎(しまだ いちろう、嘉永元年(1848年) - 明治11年(1878年)7月27日)は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治の武士(加賀藩士)、陸軍軍人。一名に一良(いちろう)、朝勇(ともいさみ)。大久保利通暗殺の主犯(紀尾井町事件)。
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