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大久保忠寛

おおくぼ ただひろ(1694-1717)
登場回数:1作

大久保 忠寛(おおくぼ ただひろ、元禄7年(1694年) - 享保2年10月2日(1717年10月24日))は、江戸時代の旗本。紀州藩士大久保忠直の長男で、徳川吉宗の側室お須磨(深徳院、徳川家重生母)の弟。母は紀州藩士内藤幸右衛門守政の娘。通称、八郎五郎。娘に笹本喜福の妻。喜福の子の大久保忠省(ただみ)を養子とした(のちに実家の笹本に復する)。 紀州藩に仕え、享保元年(1716年)徳川吉宗が将軍に就任するとその小姓となり、旗本として下野国都賀、河内両郡において700石を給う。しかし、翌年24歳で没する。法名は日性。墓所は牛込・仏性寺。その後は、弟の往忠が継ぎ、姉・お須磨の縁により5000石の大身旗本となった。
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大久保利和

おおくぼ としなか(1859-1945)
登場回数:2作

大久保 利和(おおくぼ としなか、1859年8月5日(安政6年7月7日)- 1945年(昭和20年)1月20日)は、日本の実業家、政治家、華族。貴族院侯爵議員。通称・彦熊、彦之進。
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大場一真斎

おおば いっしんさい(1803-1871)
登場回数:1作

大場 一真斎(おおば いっしんさい、享和3年(1803年) - 明治4年1月15日(1871年3月5日))は、江戸時代(幕末)の水戸藩家老である。父は大場景命、母は稲葉通義の娘。熊之助・弥右衛門・景淑・風軒。 享和3年(1803年)に生まれる。天保2年(1831年)に家督を継いで徳川斉昭に仕え、その藩政改革に協力した。斉昭から重用されて大番頭・大寄合頭にまで任じられるが、弘化元年(1844年)に斉昭が幕命により隠居させられるに伴って失脚した。しかし斉昭が復帰すると同時に家老として復帰を許される。 斉昭の没後は徳川慶篤に仕え、斉昭没後に政争が激化した水戸藩の混乱収拾に尽力したが、水戸藩浪士が引き起こした東禅寺襲撃事件の責任を問われて家老職を解任させられ、謹慎に処された。 しかしやがて復帰を許され、慶篤に従って上洛する。慶篤の実弟・徳川慶喜が第15代将軍になると慶喜から直臣として迎えられ、二条城留守居役を任された。そのまま明治4年(1871年)に亡くなるまで京都で余生を送ったといわれる。享年69。
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大川周明

おおかわ しゅうめい(1886-1957)
登場回数:1作

大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年(明治19年)12月6日 - 1957年(昭和32年)12月24日)は、日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。 東京裁判においては、唯一、民間人としてA級戦犯の容疑で起訴された。しかし梅毒による精神障害と診断され、訴追免除となった。なお、晩年はクルアーン全文を翻訳するなどイスラーム研究で優秀な実績を残した。
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大道寺政繁

だいどうじ まさしげ(1533-1590)
登場回数:2作

大道寺 政繁(だいどうじ まさしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。父は大道寺重興。 大道寺氏代々の通称である「孫九郎」を名乗る。通称は大道寺駿河守。
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大友義鎮

おおとも よししげ(1530-1587)
登場回数:1作
別名:大友宗麟

大友 義鎮(おおとも よししげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。キリシタン大名。大友氏21代当主。宗麟(そうりん)の法号で知られている。洗礼名はドン・フランシスコ。豊後の王と称された。 弟に大内義長、塩市丸、親貞など。子に義統(吉統)、親家、親盛など。 中国明朝への遣明船の派遣をはじめ、琉球、カンボジア、ポルトガルを相手とした海外貿易による経済力、優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏をはじめとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国時代の北九州東部を平定した。 当初は禅宗に帰依していたが、後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。最盛期には九州6か国を支配して版図を拡げた。しかし、薩摩から北上した島津義久に敗れ、晩年には豊臣秀吉傘下の一大名となった。 大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて、少弐氏・島津氏と共に九州の幕府御家人衆の束ね役として権勢を振るい、室町時代に入ってからは大内氏の九州進出に対し、少弐氏と結び大内氏と抗争していた。大友氏は豊後国と筑後国の守護に幕府より代々補任される、いわゆる守護大名であった。 父は20代当主・大友義鑑。母は公家の坊城氏の娘とする説がある。
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滝川具挙

たきがわ ともたか(?-1881)
登場回数:2作

滝川 具挙(たきがわ ともたか)は、江戸時代後期の旗本。通称は三郎四郎。官位は従五位下・播磨守。
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谷村昌武

たにむら まさたけ(1842-1869)
登場回数:2作

谷村 昌武(たにむら まさたけ)は、幕末の薩摩藩士。父は同藩士谷村昌徳。
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池田恒興

いけだ つねおき(1536-1584)
登場回数:12作
別名:池田勝入

池田 恒興(いけだ つねおき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。清洲会議に出席した4人の織田家重臣の一人。子に元助、輝政など。信長とは乳兄弟になる。 尾張国犬山城主、摂津国兵庫城主、美濃国大垣城主など。通称は勝三郎。紀伊守を自称。
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竹内惣右衛門

たけうち そうえもん(?-1600)
登場回数:1作

竹内 惣右衛門(たけうち そうえもん)は、安土桃山時代の人物。長宗我部氏の家臣、一領具足。
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