偉人

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北条仲時

ほうじょう なかとき(1306-1333)
登場回数:1作

北条 仲時(ほうじょう なかとき)は、鎌倉時代末期の北条氏一門。鎌倉幕府最後の六波羅探題北方であり摂津守護も兼務した。普恩寺流で第13代執権である北条基時の子。普恩寺 仲時(ふおんじ なかとき)とも呼ばれる。
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牧の方

まきのかた(?-?)
登場回数:5作

牧の方(まきのかた、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府の初代執権・北条時政の継室。牧宗親(大岡時親)の妹、あるいは娘。子は北条政範、稲毛女房、平賀朝雅室、宇都宮頼綱室、坊門忠清室。
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堀川通具

みなもと の みちとも(1171-1227)
登場回数:1作

源 通具(みなもと の みちとも)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。堀川大納言と号す。右大将・源通親の次男。官位は正二位・大納言。堀川家の祖。
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堀部武庸

ほりべ たけつね(1670-1703)
登場回数:4作
別名:堀部安兵衛

堀部 武庸(ほりべ たけつね、寛文10年(1670年)- 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。四十七士随一の剣客であり、高田馬場の決闘で名を馳せた。吉良邸討ち入りでは江戸急進派と呼ばれる勢力のリーダー格となった。通称の安兵衛(やすべえ/やすびょうえ)で知られる。
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本多正信

ほんだ まさのぶ(1538-1616)
登場回数:13作
別名:本多正保/本多佐渡

本多 正信(ほんだ まさのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の家臣で、江戸幕府の老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代。 父祖以来、徳川氏に仕えるが、三河一向一揆に与して鎮圧後に三河を出奔。後に許されて家康のもとへ帰参し、江戸開府後は家康、次いで2代将軍・徳川秀忠の側近として幕政の中枢にあり権勢を振るった。
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万里小路藤房

までのこうじ ふじふさ(1296-?)
登場回数:1作

万里小路 藤房(までのこうじ ふじふさ)は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけての公卿。大納言・万里小路宣房の一男。官位は正二位・中納言。後醍醐天皇の側近として倒幕運動に参画し、建武政権では恩賞方頭人や雑訴決断所寄人など要職を担った。だが、突如、世を儚んで出家した。本姓の「藤原」により藤原藤房とも言う。江戸時代の儒学者安東省菴によって、平重盛・楠木正成と共に日本三忠臣の1人に数えられている。
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明雲

みょううん(1115-1184)
登場回数:2作

明雲(みょううん)は、平安時代末期の天台宗の僧。久我顕通の長男。弟に久我雅通。
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毛利輝元

もうり てるもと(1553-1625)
登場回数:11作
別名:幸鶴丸

毛利 輝元(もうり てるもと)は、戦国時代後期(安土桃山時代)から江戸時代前期にかけての武将・大名。安芸の戦国大名・毛利氏の14代当主。祖父は毛利元就。 豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将となった。長州藩の藩祖でもある。
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毛利登人

もうり のぼる(1821-1865)
登場回数:1作

毛利 登人(もうり のぼる)は、幕末期の長州藩士。諱は貞武や武。甲子殉難十一烈士 の1人。
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木村重成

きむら しげなり(1593-1615)
登場回数:6作

木村 重成(きむら しげなり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣氏の家臣。知行3千石。
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