偉人

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松井康之

まつい やすゆき(1550-1612)
登場回数:1作

松井 康之(まつい やすゆき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。松井正之の次男。子に興之、興長。幼名は新助、胃助。官位は佐渡守。
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渋沢市郎右衛門

しぶさわ いちろううえもん(1809-1872)
登場回数:1作
別名:渋沢元助

渋沢 市郎右衛門(しぶさわ いちろううえもん)は、江戸時代後期の武蔵国榛沢郡血洗島村の豪農、商人。「日本資本主義の父」渋沢栄一の父。
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原田喜右衛門

はらだ きえもん(?-?)
登場回数:1作

原田 喜右衛門(はらだ きえもん、生没年不詳)は、安土桃山時代の長崎商人。キリスト教に帰依し「パウロ」の洗礼名を持ったが、のち背教している。
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三島通庸

みしま みちつね(1835-1888)
登場回数:1作

三島 通庸(みしま みちつね、1835年6月26日(天保6年6月1日) - 1888年(明治21年)10月23日)は、日本の官僚。栄典は正三位勲二等子爵。通称は弥兵衛。林太郎、千木とも。県令時代は、反対派を押し切り強力に土木工事を進める手法から「土木県令」や「鬼県令」の異名で呼ばれた。
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山高信離

やまたか のぶつら(1842-1907)
登場回数:1作

山高 信離(やまたか のぶあきら/のぶつら/しんり、1842年3月23日(天保13年2月12日) - 1907年(明治40年)3月19日)は、幕末から明治時代の武士(旗本)、官吏。位階および勲等は正四位・勲二等。
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外島機兵衛

としま きへえ(1826-1868)
登場回数:1作

外島 機兵衛(としま きへえ、1826年7月5日(文政9年6月1日) - 1868年3月30日(慶応4年3月7日))は、幕末の会津藩士である。
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三浦真明

みうら さねあき(?-1568)
登場回数:1作
別名:三浦義鎮/三浦与次

三浦 真明(みうら さねあき)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。仮名は与次。通称は右衛門大夫。
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藤原殖子

ふじわら の しょくし(1157-1228)
登場回数:1作
別名:七条院

藤原 殖子(ふじわら の しょくし/たねこ、保元2年(1157年) - 安貞2年9月16日(1228年10月15日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。高倉天皇の後宮。後高倉院(守貞親王)と後鳥羽天皇の母。女院。坊門 殖子とも。父は従三位藤原(坊門)信隆。母は藤原休子(大蔵卿藤原(持明院)通基の女)。内大臣坊門信清は同母弟。院号は七条院(しちじょういん)。
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島田秀満

しまだ ひでみつ(?-?)
登場回数:1作
別名:島田所之助

島田 秀満(しまだ ひでみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。織田氏の家臣。 織田信長に奉行として仕えた。弘治2年(1556年)8月に信長の母・土田御前から末盛城に招かれ、織田信行の降参を村井貞勝と共に信長に伝える。天正2年(1571年)4月25日に信長の命で東大寺八幡宮社人と大仏寺人の諸役を免除する。 秀満は兼見卿記(吉田兼見著)の天正3年(1575年)4月11日条に載ったのを最後に史料からは登場しなくなったため、この後、間もなく没したとされる。
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田沢政路

たざわ せいじ(?-?)
登場回数:1作

田沢政路(たざわ・つしまのかみ)は、江戸幕府の大目付。一橋家家老。
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