偉人

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アレクサンダー・フォン・シーボルト

あれくさんだー・ふぉん・しーぼると(1846-1911)
登場回数:2作

アレクサンダー・ゲオルク・グスタフ・フォン・シーボルト(Alexander George Gustav von Siebold、1846年8月16日 - 1911年1月23日)は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男で、幕末に在日英国公使館の通訳を務めた後、明治政府にお雇い外国人として40年間雇用された。不平等条約の最たるものとして知られる日墺修好通商航海条約協力の功によりオーストリア=ハンガリー帝国の男爵となった。
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お市の方

おいちのかた(1547-1583)
登場回数:14作
別名:お市

お市の方(おいちのかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。初め近江の戦国大名・浅井長政の継室で、後に織田家重臣の柴田勝家の正室となった。小谷の方(おだにのかた)、小谷殿とも称される。名は通説では「於市」で、「お市姫」(お市御料人)とも云い、『好古類纂』収録の『織田家系譜』には「秀子」という名が記されている。 江戸時代の書物の『祖父物語』や『賤獄合戦記』によれば「天下一の美人」(天下第一番の御生付)だと誉が高かったという。
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シャルル・ド・モンブラン

しゃるる・ど・もんぶらん(1833-1894)
登場回数:2作
別名:白山伯

モンブラン伯爵およびインゲルムンステル男爵シャルル・フェルディナン・カミーユ・ヒスラン・デカントン・ド・モンブランは、フランス・ベルギーの貴族、実業家、外交官、日本のお雇い外国人。日本では「白山伯」(はくざんはく、ペーサンはく)の名で知られた。
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テオドール・ホフマン

ておどーる・ほふまん(1837-1894)
登場回数:1作

テオドール・エドアルト・ホフマン(Theodor Eduard Hoffmann、1837年10月17日 - 1894年4月1日)は、ドイツの軍医。御雇い外国人の一人。
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マシュー・ペリー

ましゅー・ぺりー(1794-1858)
登場回数:6作

マシュー・カルブレイス・ペリーは、アメリカ海軍の軍人。兄はオリバー・ハザード・ペリー。 江戸時代に艦隊を率いて鎖港をしていた日本へ来航し、開港への交渉を要求したことで知られる。来航当時の文書には「ペルリ(漢字では彼理 / 伯理)」と表記されていた。
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ロレンソ了斎

ロレンソ りょうさい(1526-1592)
登場回数:3作

ロレンソ了斎(ロレンソりょうさい 大永6年(1526年)- 文禄元年12月20日(1592年2月3日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本人イエズス会員。名説教家として知られ、精力的な布教活動を行い、当時の日本におけるキリスト教の拡大に大きな役割を果たした。ロレンソ、ロレンソ了西と表記されることも。
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阿野廉子

あの れんし(1301-1359)
登場回数:1作

阿野 廉子(あの れんし/かどこ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての女房・後宮・女院。後醍醐天皇の側室・寵姫にして、祥子内親王(日本最後の伊勢神宮斎宮)、皇太子恒良親王、そして義良親王すなわち後村上天皇らの母である。従三位に叙されて三位内侍(さんみのないし)、また院号宣下を受けて新待賢門院(しんたいけんもんいん)と呼ばれた。 父は右近衛中将・阿野公廉、母は不詳だが、後に洞院公賢の養女となった。実家の阿野家は藤原北家閑院流の公家であり、阿野全成の外孫・実直を始祖としている。もとは元応元年(1319年)に後醍醐天皇正妃である西園寺禧子が中宮に冊立された歳、中宮内侍(中宮の配下の官僚の序列第三位)として宮廷に務めた。その後、禧子に内侍として仕えつつも後醍醐天皇の側室ともなり、正中2年(1325年)に恒良親王が出生したのをはじめ、後醍醐との間に多くの皇子をもうけた。正妃であり後醍醐から絶大な寵愛を受ける禧子に比べれば目立たない立場ではあったが、禧子に次ぐ寵姫として元弘の乱での隠岐国配流などに同行し、陰から後醍醐を支えた。 和歌の才能と稀代の美貌を誇った禧子に比べ、廉子は裏方的な実務能力に優れ、最晩年には「新待賢門院令旨」を発して南朝の国政にも関与した。和歌においても、正規の勅撰和歌集に入集こそしなかったものの、準勅撰である『新葉和歌集』には20首が入集している。 なお、後村上天皇と敵対した北朝で書かれた軍記物語『太平記』では、禧子から後醍醐の寵を奪った傾城・傾国の悪女と描かれた。史実としては、廉子が表に台頭したのは禧子崩御後であり、その後でさえ、禧子が受けた破格の寵愛・寵遇に優越した訳ではない。
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安達義景

あだち よしかげ(1210-1253)
登場回数:1作

安達 義景(あだち よしかげ)は鎌倉時代中期の武将。安達景盛の嫡男。鎌倉幕府の有力御家人。子に安達泰盛、覚山尼(北条時宗室)がいる。
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安藤信友

あんどう のぶとも(1671-1732)
登場回数:1作

安藤 信友(あんどう のぶとも)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。備中国松山藩2代藩主、美濃国加納藩初代藩主。官位は従四位下・対馬守、侍従。対馬守系安藤家4代。6万5000石。享保7年(1722年)徳川吉宗の治世で老中に任ぜられる。文化人としても名高く、特に俳諧では冠里(かんり)の号で知られ、茶道では御家流の創始者となった。俳諧よくし、宝井其角の門下、号は冠里。
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安部政吉

あべ まさよし(?-1582)
登場回数:1作

安部 政吉(あべ まさよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。
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