偉人勧修寺経顕 かじゅうじ つねあき(1298-1373)登場回数:1作勧修寺 経顕(かじゅうじ つねあき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。藤原北家勧修寺流坊城家、権中納言・坊城定資の次男。官位は従一位・内大臣。勧修寺家初代当主。 2020.09.01偉人
偉人岩成友通 いわなり ともみち(?-1573)登場回数:2作岩成 友通(いわなり ともみち)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。三好氏の家臣で、三好三人衆の1人。姓は石成とも書く。 元亀元年から「長信」の名乗りを使用している。三好長慶の奉行人として頭角を現し、三好政権の中枢を占めるに至った。三好政権における出世頭ともいえる人物である。 2020.09.01偉人
偉人鬼一法眼 きいちほうげん(?-?)登場回数:1作鬼一法眼(きいちほうげん)は、室町時代初期に書かれた『義経記』巻2に登場する伝説上の人物。「法眼」とは僧侶に対する尊称であって、名前ではない。 京の一条堀川に住んだ僧侶の身なりの陰陽師法師。『六韜』という兵法の大家でもあり、文武の達人とされる。源義経がその娘と通じて伝家の兵書『六韜』を盗み学んだという伝説で有名。また剣術においても、京八流の祖として、また剣術の神として崇められている。 浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」(長谷川千四、文耕堂、1731年、竹本座)でも広く知られた。 京都市立鞍馬小学校横には、「鬼一法眼之古跡」という石碑があり、鬼一法眼の屋敷跡とも墓とも伝えられている。なお、石碑の建立は大正4年11月10日、鞍馬校職員生徒によるもの。 また、鞍馬寺境内には鬼一法眼を祀る鬼一法眼社がある。 2020.09.01偉人
偉人義演 ぎえん(1558-1626)登場回数:1作義演(ぎえん、永禄元年8月20日(1558年10月1日)- 寛永3年閏4月21日(1626年6月15日))は、戦国時代から江戸時代にかけての真言宗の僧。父は二条晴良、母は伏見宮貞敦親王王女の位子。室町幕府15代将軍・足利義昭の猶子となり、「義」の一字を与えられている。 2020.09.01偉人
偉人吉川経幹 きっかわ つねまさ(1829-1867)登場回数:2作吉川 経幹(きっかわ つねまさ)は、江戸時代末期の周防国岩国領の第12代領主、のち岩国藩初代藩主。第11代領主・吉川経章の長男。岩国立藩以後の官位は従五位下、駿河守。 2020.09.01偉人
偉人吉田東洋 よしだ とうよう(1816-1862)登場回数:2作吉田 東洋(よしだ とうよう)は、江戸時代後期(幕末)の土佐藩士・参政。諱は正秋。東洋は号。後藤象二郎は義理の甥にあたる。 2020.09.01偉人
偉人久世広之 くぜ ひろゆき(1609-1679)登場回数:2作久世 広之(くぜ ひろゆき)は、江戸時代前期の大名。若年寄、老中。下総国関宿藩主。関宿藩久世家初代。官位は従四位下・大和守。 2020.09.01偉人
偉人牛塚虎太郎 うしづか とらたろう(1879-1966)登場回数:1作牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)4月28日 - 1966年(昭和41年)11月1日)は、東京市長および衆議院議員を歴任した官僚、政治家。 2020.09.01偉人
偉人橋本実梁 はしもと さねやな(1834-1885)登場回数:1作橋本 実梁(はしもと さねやな)は、攘夷派の公卿。橋本家19代当主で橋本実麗の養子。戊辰戦争でも戦った功臣で、のち式部寮に籍を置いた。晩年に伯爵に叙勲され、元老院議官となる。幣原内閣で大蔵大臣を務めた澁澤敬三は孫にあたる。 2020.09.01偉人