偉人

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佐々木高行

ささき たかゆき(1830-1910)
登場回数:2作

佐々木 高行(ささき たかゆき、1830年11月26日(文政13年10月12日) - 1910年(明治43年)3月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治期の日本の政治家。爵位は侯爵。幼名は万之助、通称は三四郎。初名は高喜(たかあつ)、高春(たかはる)と称し、高行(たかのり)と改名した後に現在の呼称に変えた。佐佐木高行とも書かれる。土佐三伯の1人(他に板垣退助・後藤象二郎)。日記『保古飛呂比』の著者でもある。 藩士と郷士の身分が確立されている土佐藩の中で上士の板垣退助や谷干城と同じく、郷士に対し寛大だった人物として有名。明治政府高官の中でも保守派を代表する1人であり、明治天皇の信任を楯に政治体制を巡り伊藤博文らと争った。
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佐治日向守

さじ ひゅうがのかみ(?-?)
登場回数:2作

佐治 日向守(さじ ひゅうがのかみ、生没年不詳)は、戦国時代の武士。諱は不明。 元は尾張国の農夫で、羽柴秀吉の妹・朝日姫を妻としていたため、秀吉の配下となり、尾張の名族・佐治氏の名目を継いで佐治日向守と名乗る。秀吉が長浜城主だった頃に不祥事を起こし、切腹したという。 また、小牧・長久手の戦い後、秀吉が徳川家康を懐柔するために、朝日姫を嫁がせようと計画した。当時、朝日姫の夫であったのが佐治日向守であり、秀吉より無理矢理離縁させられ自刃したという説がある(「改正後三河風土記」)。 朝日の夫の名を副田甚兵衛とするものもあり、福田千鶴は、浅井長政の三女江が佐治一成と結婚した話が混同されたものではないかとしている。
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佐野宗綱

さの むねつな(1560-1585)
登場回数:1作

佐野 宗綱(さの むねつな)は、戦国時代の武将。佐野氏の第16代当主。佐野昌綱の嫡男。
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斎藤喜平次

さいとう きへいじ(?-1555)
登場回数:3作

斎藤 喜平次(さいとう きへいじ)は、戦国時代の人物。
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細川師氏

ほそかわ もろうじ(1305-1348)
登場回数:1作

細川 師氏(ほそかわ もろうじ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。官位は従五位下・掃部助、淡路守。淡路国守護。細川淡路守護家初代当主。
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坂崎紫瀾

さかざき しらん(1853-1913)
登場回数:1作

坂崎 紫瀾(さかざき しらん、嘉永6年11月18日(1853年12月18日) - 大正2年(1913年)2月17日)は、明治期のジャーナリスト、講談師、小説家、歴史研究者、自由民権運動家。本名は坂崎斌(さかざき さかん)。 生涯でかかわった主な新聞は、『自由新聞』『絵入自由新聞』『浪華新聞』『今日新聞』『東西新聞』『大同新聞』『国会』『読売新聞』『東京新聞。』『法律新聞』。著書に『汗血千里駒』『勝伯事跡開城始末』『鯨海酔侯』。
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桜井吉晴

さくらい よしはる(?-1605)
登場回数:1作

桜井 吉晴(さくらい よしはる、? - 慶長10年(1605年))は、戦国時代から江戸時代初期の武将。越後国魚沼郡広瀬の地侍で、越後上杉氏家臣。通称・三介、三助。名を晴吉とするものもあるが誤記か。
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三浦泰村

みうら やすむら(?-1247)
登場回数:1作

三浦 泰村(みうら やすむら)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。三浦義村の次男。館は、鶴岡八幡宮の東。筋替橋の近く。
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三条西実条

さんじょうにし さねえだ(1575-1640)
登場回数:2作

三条西 実条(さんじょうにし さねえだ、旧字体:三條西 實條 )は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公卿。内大臣・三条西公国の子。官位は従一位・右大臣。
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山浦景国

やまうら かげくに(1546-1592)
登場回数:1作

山浦 景国(やまうら かげくに)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。
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