偉人

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出浦盛清

いでうら もりきよ(1546-1623)
登場回数:1作

出浦 盛清(いでうら もりきよ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。真田氏の家臣。実名は昌相(まさすけ)。幸久(ゆきひさ)・頼幸(よりゆき)とも伝わるが誤伝である。信濃国更級郡の上平城主(出浦城主)や、上野国岩櫃城代などを務めた。江戸時代後期に松代藩の家老を務めた河原綱徳が記した『本藩名士小伝』の記載に甲州透破(三ツ者・甲州忍者)の棟梁とあり、忍者として知られるが、忍城攻めにおける活躍を「忍」と誤伝された可能性が指摘されている。
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初姫

はつひめ(1602-1630)
登場回数:2作
別名:興安院

初姫(はつひめ、慶長7年7月9日(1602年8月25日) - 寛永7年3月4日(1630年4月16日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。徳川秀忠の四女。小浜藩主京極忠高の正室。号は興安院。母は継室の江。忠高とは又従兄妹の関係に当たる。また、徳川家光は弟にあたる。
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小笠原康広

おがさわら やすひろ(1531-1598)
登場回数:1作

小笠原 康広(おがさわら やすひろ)は、戦国時代・安土桃山時代の北条氏・徳川氏家臣。小笠原元続の子。正室は北条為昌の娘(北条氏康の養女)・種徳寺殿。
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小山田行村

おやまだ ゆきむら(?-1582)
登場回数:1作

小山田 行村(おやまだ ゆきむら)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。八左衛門。
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小松清穆

こまつ きよあつ(1793-1856)
登場回数:1作

小松 清穆(こまつ きよあつ)は、江戸時代後期の薩摩藩士。家格一所持。通称に帯刀。
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小島一枝

こじま かずえ(1916-1992)
登場回数:1作

小島 一枝(こじま かずえ、1916年10月30日 - 1992年)は日本の水泳選手。
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小野道風

おの の みちかぜ(894-967)
登場回数:1作

小野 道風(おの の みちかぜ/とうふう)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・能書家。参議・小野篁の孫で、大宰大弐・小野葛絃の三男。官位は正四位下・内蔵頭。 それまでの中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた人物と評されている。後に、藤原佐理と藤原行成と合わせて「三跡」と称され、その書跡は野跡と呼ばれる。
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昭和天皇

しょうわてんのう(1901-1989)
登場回数:1作
別名:裕仁/迪宮

昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位:1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、御称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹(わかたけ)。 1921年(大正10年)11月25日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの5年余りにわたって、父帝・大正天皇の健康状態の悪化により、摂政宮となった。 60年余りの在位中に第二次世界大戦を挟み、大日本帝国憲法下の「統治権の総攬者」としての天皇と日本国憲法下の「象徴天皇」の両方を経験した唯一の天皇である。
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松倉重政

まつくら しげまさ(?-1630)
登場回数:1作

松倉 重政(まつくら しげまさ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将、大名。大和五条藩主、肥前日野江藩初代藩主。松倉重信の長男。 日野江に入封後は苛政と搾取を行い、子の勝家と共に島原の乱の主因を作った。
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松平家忠

まつだいら いえただ(1547-1582)
登場回数:1作

松平 家忠(まつだいら いえただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は紀伊守、又七郎。形原松平家5代当主。徳川家康の従弟。
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