偉人

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毛利都美子

もうり とみこ(1833-1913)
登場回数:1作

毛利 都美子(もうり とみこ、天保4年9月5日(1833年10月17日) - 大正2年(1913年)2月21日)は、江戸時代後期から大正時代にかけての女性。長州藩第13代藩主毛利敬親の正室。長州藩第12代藩主毛利斉広の長女。別名都美姫。のち落飾して妙好と称する。
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木村重茲

きむら しげこれ(?-1595)
登場回数:4作

木村 重茲(きむら しげこれ)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。別名に定光、重隆、重高。通称は隼人正、常陸介。千利休の弟子で、台子七人衆の1人。
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野津鎮雄

のづ しずお(1835-1880)
登場回数:1作

野津 鎮雄(のづ しずお、天保6年9月5日(1835年10月26日) - 明治13年(1880年)7月22日)は、日本の陸軍軍人。中部監軍部長・熊本鎮台司令長官・東京鎮台司令長官を歴任した。最終階級は陸軍中将。栄典は正三位勲二等。弟に元帥陸軍大将野津道貫。
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柳生主馬

やぎゅう しゅめ(?-1651)
登場回数:1作

柳生 主馬(やぎゅう しゅめ)は、江戸時代初期の人物。柳生藩藩士。朝鮮出身と伝えられる。彼自身の事績に関する記録は多くはないが、初代柳生藩藩主柳生宗矩から始まる柳生氏と、尾張藩に仕えた柳生利厳に始まる柳生氏(尾張柳生)の決裂の一因となった人物として知られている。
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有村次左衛門

ありむら じざえもん(1839-1860)
登場回数:5作

有村 次左衛門(ありむら じざえもん)は、江戸時代末期(幕末)の薩摩藩士、尊王攘夷派志士。諱は兼清。
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養珠院

ようじゅいん(1577-1653)
登場回数:2作
別名:万

養珠院(ようじゅいん、天正5年(1577年) - 承応2年8月22日(1653年10月13日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。徳川家康の側室。紀州徳川家の家祖徳川頼宣、および水戸徳川家の家祖徳川頼房の母。名は万(まん、旧字体:萬)。実父は勝浦城主・正木頼忠。義父は蔭山氏広。実兄は紀州藩(紀州徳川家)家老の三浦為春。義弟に江戸幕府旗本の蔭山貞広。水戸藩2代藩主徳川光圀の祖母で、江戸幕府8代将軍徳川吉宗の曾祖母。 以下の呼称は実名の万で統一する。
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立見尚文

たつみ なおふみ(1845-1907)
登場回数:1作

立見 尚文(たつみ なおふみ/なおぶみ、1845年8月21日(弘化2年7月19日) - 1907年(明治40年)3月6日)は、明治期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。男爵。通称は鑑三郎。号は快堂。変名に倉田巴。
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林復斎

はやし ふくさい(1801-1859)
登場回数:1作

林 復斎(はやし ふくさい)は、江戸時代末期の儒学者、外交官。幕府朱子学者林家当主。復斎は号。岩瀬忠震、堀利煕は甥にあたる。
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鈴木貞一

すずき ていいち(1888-1989)
登場回数:1作

鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年(明治21年)12月16日 - 1989年(平成元年)7月15日)は、日本の軍人、陸軍中将。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」と呼ばれた東條英機側近三奸の一人とされる。千葉県山武郡芝山町(山中)出身。
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和田業繁

わだ なりしげ(?-1575)
登場回数:1作

和田 業繁(わだ なりしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上野国群馬郡和田郷(現・高崎市)の国衆。和田城主。
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