偉人

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豪姫

ごうひめ(1574-1634)
登場回数:3作
別名:樹正院

豪姫(ごうひめ、天正2年(1574年) - 寛永11年5月23日(1634年6月18日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。宇喜多秀家の正室。前田利家の四女。豊臣秀吉の養女。羽柴氏。南の御方、備前の方、京。樹正院。洗礼名「マリア」。
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黒田長政

くろだ ながまさ(1568-1623)
登場回数:15作
別名:松寿丸

黒田 長政(くろだ ながまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。筑前国福岡藩初代藩主。 戦国武将・黒田孝高(官兵衛・如水)の嫡男。九州平定、文禄・慶長の役で活躍した。特に関ヶ原の戦いでは東軍につき大きな戦功を挙げたことから、徳川家康より筑前国名島に52万3千余石の封を受け、福岡藩を立藩し初代藩主となった。長政も父の孝高と同じくキリシタン大名であったが、棄教した。
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今川範国

いまがわ のりくに(1295-1384)
登場回数:1作

今川 範国(いまがわ のりくに)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての守護大名。駿河今川氏の初代当主。
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佐々木氏信

ささき うじのぶ(1220-1295)
登場回数:1作

佐々木 氏信(ささき うじのぶ)は、鎌倉時代中期の武将・御家人。佐々木氏支流京極氏の始祖。京極氏信とも。鎌倉の桐ヶ谷にも住しており、桐谷氏とも呼ばれた。
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佐州屋金蔵

さしゅうや きんぞう(?-?)
登場回数:1作

佐州屋金蔵(さしゅうや きんぞう、生没年不詳)は、幕末の商人。 江戸で古物商を営んでおり、西洋からの舶来品も扱っていた。 安政4年(1857年)西洋拵えの懐中時計2つを帯同して夜道を歩いていた所、酒席の帰りであった剣術道場・士学館の門人であった田那村作八と接触し、作八に難癖を付けられたために時計を置き捨てて逃亡した。その後、「土佐藩士・やまもとかくま」名義で時計が知人の古物商に転売されており、「やまもとかくま」が土佐藩士で事件当時田那村と同行していた山本数馬の聞き違えと判明する。当時、土佐藩邸で山本らの面倒を見ていた武市瑞山らの仲介により時計は返却されたため金蔵は数馬や土佐藩を特段咎め立てしなかった。この際、瑞山は金蔵の人柄を絶賛している。
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佐野昌綱

さの まさつな(1529-1574)
登場回数:1作

佐野 昌綱(さの まさつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。佐野氏の第15代当主。 戦上手であったといわれており、上杉謙信や後北条氏を何度も撃退している。また、戦で負けて落城したことは無く、戦況を見定め降伏・離反を繰り返して佐野家の命脈を保った。
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斎藤義龍

さいとう よしたつ(1527-1561)
登場回数:4作

斎藤 義龍/ 斎藤 高政(さいとう よしたつ / さいとう たかまさ、大永7年6月10日〈1527年7月8日〉または享禄2年〈1529年〉- 永禄4年5月11日〈1561年6月23日〉)は、戦国時代の武将、美濃国の戦国大名、道三流斎藤氏の第二代当主(美濃一色氏初代とする説もある)、室町幕府相伴衆である。
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細川氏綱

ほそかわ うじつな(1514-1564)
登場回数:1作

細川 氏綱(ほそかわ うじつな)は、戦国時代武将。室町幕府35代(最後の)管領。摂津国守護。官位は従四位下・右京大夫。細川京兆家18代当主。なお、氏綱及び前任の細川晴元の管領就任を史実ではないとする説もある。
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坂崎直盛

さかざき なおもり(1563-1616)
登場回数:2作

坂崎 直盛(さかざき なおもり) / 宇喜多 詮家(うきた あきいえ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。宇喜多忠家の子。宇喜多直家の甥にあたる。宇喜多秀家に仕えた後に徳川家康に仕えた。関ヶ原の戦いの功により津和野城主となって坂崎と改姓。
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桜井三木三

さくらい みきぞう(1830-1865)
登場回数:1作

桜井 三木三(さくらい みきぞう)は、江戸時代幕末の武士・長州藩士。諱は知章。
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