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湯浅五助

ゆあさ ごすけ(?-1600)
登場回数:4作

湯浅 五助(ゆあさ ごすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大谷吉継の家臣。諱は隆貞(たかさだ)とされる。
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藤原教通

ふじわら の のりみち(996-1075)
登場回数:1作

藤原 教通(ふじわら の のりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿。藤原北家、摂政太政大臣・藤原道長の五男。官位は従一位・関白、太政大臣、贈正一位。
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藤原国衡

ふじわら の くにひら(?-1189)
登場回数:4作

藤原 国衡(ふじわら の くにひら)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の奥州藤原氏の武将。奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡の長男。母は側室で信夫佐藤氏の娘とも蝦夷の娘であったとも言われる。父の正室(義母)を娶り、泰衡とは義理の父子関係となる。しかし、庶子という身分からか、一族内での発言権には乏しかったようで、高衡を除いた四人の弟をはじめとする一族の相克を傍観するしかなかった。奥州合戦では阿津賀志山の戦いに総大将として参戦するも、戦死した。
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藤原清衡

ふじわら の きよひら(1056-1128)
登場回数:1作

藤原 清衡(ふじわら の きよひら)は、平安時代後期の武将で奥州藤原氏初代当主。
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藤原呈子

ふじわら の ていし(1131-1176)
登場回数:2作

藤原 呈子(ふじわら の ていし/しめこ)、天承元年(1131年) - 安元2年9月19日(1176年10月23日))は、平安時代末期の皇妃、女院。第76代近衛天皇中宮。父は藤原伊通、母は藤原顕隆の娘・立子。藤原得子(美福門院)と藤原忠通の養女。院号は九条院(くじょういん)。法名は静浄観。
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藤原領子

ふじわら の むねこ(?-?)
登場回数:2作

藤原 領子(ふじわら の むねこ、生没年不詳)は、平安時代末期の女性。建春門院民部卿局(けんしゅんもんいんみんぶきょうのつぼね)、洞院局(とうのいんのつぼね)の名を有する女房(高級女官)。大納言藤原(中山)顕時の娘。母は不詳だが、平忠盛女と考えられる。平時忠の継室。兄弟に行隆・盛方らがある。
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道島五郎兵衛

みちじま ごろべえ(?-1862)
登場回数:3作

道島 五郎兵衛(みちじま ごろべえ)は、日本の武士(薩摩藩士)。名は正邦。
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徳川吉通

とくがわ よしみち(1689-1713)
登場回数:1作

徳川 吉通(とくがわ よしみち)は、江戸時代前期の大名。尾張藩の第4代藩主。
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徳川宗勝

とくがわ むねかつ(1705-1761)
登場回数:1作

徳川 宗勝(とくがわ むねかつ)は、尾張徳川家の尾張藩第8代藩主。御連枝川田久保松平家第2代当主、高須藩四谷松平家の第3代藩主でもあった。 川田久保松平家初代・松平友著(尾張徳川家第2代当主・徳川光友の十一男)の長男で、母は側室の湯本氏(繁、円珠院)。尾張徳川家第4・6・7代当主である吉通・継友・宗春兄弟の従弟に当たる。正室は第4代藩主・徳川吉通の次女・三姫(宝蓮院)。側室は倉林氏(すめ・寿光院)・馬場氏(とせ・清光院)・寺嶋氏(そよ・仙宥院)と多数。
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徳川頼房

とくがわ よりふさ(1603-1661)
登場回数:3作

徳川 頼房(とくがわ よりふさ)は、江戸時代初期の大名。常陸水戸藩の初代藩主。水戸徳川家の祖。
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