偉人

偉人

猪子兵助

いのこ ひょうすけ(1546-1582)
登場回数:2作

猪子 兵助(いのこ ひょうすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。諱は高就(たかなり)で、『寛政重修諸家譜』では一俊(かずとし)とする。
偉人

朝比奈泰勝

あさひな やすかつ(1547-1633)
登場回数:1作

朝比奈 泰勝(あさひな やすかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・旗本。今川氏、徳川氏の家臣。
偉人

長寿院盛淳

ちょうじゅいん もりあつ(1548-1600)
登場回数:1作

長寿院 盛淳(ちょうじゅいん もりあつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。蒲生地頭。本来は畠山姓で、長寿院は院号。その後、還俗したが、出家時の名乗りのまま有名になった。後年、子・忠栄が屋敷を阿多甚左衛門に譲与して出家したため、阿多吉房と呼ばれ、以降子孫は阿多氏を称している。
スポンサーリンク
偉人

長尾晴景

ながお はるかげ(1509-1553)
登場回数:2作

長尾 晴景(ながお はるかげ)は、戦国時代の武将。越後国の戦国大名。
偉人

直江景綱

なおえ かげつな(1509-1577)
登場回数:4作
別名:直江実綱/直江政綱

直江 景綱(なおえ かげつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。越後国の守護代・戦国大名の長尾氏(上杉氏)の家臣。山東郡(三島郡)与板城城主。長尾為景・晴景・景虎(後の上杉謙信)の3代にわたって仕えた宿老で、奉行職を務め主に内政・外交面で活躍した。また七手組大将の一人として軍事面で活躍することもあった。
偉人

坪内定鑑

つぼうち さだかね(1649-1723)
登場回数:1作

坪内 定鑑(つぼうち さだかね、慶安2年(1649年) - 享保8年10月13日(1723年11月13日))は、江戸時代中期の旗本。江戸南町奉行、中町奉行。官職は能登守、但馬守。通称は源五郎、弥五郎。御先手鉄砲頭・坪内定次の次男で坪内定守の弟。養子に定富。
偉人

天野興定

あまの おきさだ(1475-1541)
登場回数:1作

天野 興定(あまの おきさだ)は、戦国時代の武将。大内氏、尼子氏の家臣。
偉人

田代信綱

たしろ のぶつな(?-?)
登場回数:1作

田代 信綱(たしろ のぶつな、生没年不詳)は、平安時代末期の武将。号は田代冠者信綱。
偉人

渡辺錠太郎

わたなべ じょうたろう(1874-1936)
登場回数:1作

渡辺 錠太郎(わたなべ じょうたろう、1874年(明治7年)4月16日 - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の陸軍軍人。陸士8期・陸大17期首席。最終階級は陸軍大将。位階勲等は 従二位勲一等功五級。
偉人

土岐頼芸

とき よりあき(1502-1582)
登場回数:2作

土岐 頼芸(とき よりあき / よりなり/ よりのり / よりよし)は、戦国時代の美濃国の守護大名。土岐政房の次男。 土岐氏当主で兄の頼武及びその子・頼純の嫡流と対立、美濃国とその周辺国を巻き込んだ争乱の末、土岐氏当主、美濃守護となった。しかし、後に重臣の斎藤道三に追放された。
スポンサーリンク