偉人

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畠山重忠

はたけやま しげただ(1164-1205)
登場回数:4作

畠山 重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。 源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。しかし、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて子とともに討たれた(畠山重忠の乱)。館は、鎌倉筋替橋の東南。 存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された。
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板倉重宗

いたくら しげむね(1586-1657)
登場回数:1作

板倉 重宗(いたくら しげむね)は、江戸時代前期の譜代大名で下総関宿藩の初代藩主。京都所司代。板倉家宗家2代。
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比企能員

ひき よしかず(?-1203)
登場回数:2作

比企 能員(ひき よしかず)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。 比企尼の縁から鎌倉幕府二代将軍・源頼家の乳母父となり、娘の若狭局が頼家の側室となって嫡子一幡を産んだ事から権勢を強めたが、能員の台頭を恐れた北条時政との対立により比企能員の変(比企の乱)が起こり、比企一族は滅亡した。
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品川将員

しながわ まさかず(1544-1565)
登場回数:1作

品川 将員(しながわ まさかず)は、戦国時代の武将。石見国の国人領主・益田藤兼の家臣。品川 大膳(しながわ だいぜん)、あるいは棫木 狼之介(たらぎ おおかみのすけ)や品川 猪介(しながわ ししのすけ)の名で知られる。
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武蔵坊弁慶

むさしぼう べんけい(?-1189)
登場回数:6作

武蔵坊 弁慶(むさしぼう べんけい、武藏坊 辨慶、? - 文治5年閏4月30日〈1189年6月15日〉?)は、平安時代末期の僧衆(僧兵)。源義経の郎党。 『義経記』では熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われるが詳細は不明。元は比叡山の僧で武術を好み、五条の大橋で義経と出会って以来、郎党として彼に最後まで仕えたとされる。講談などでは、義経に仕える怪力無双の荒法師として名高く、ほか創作の世界でも義経と並んで主役格の人気があり、怪力の者や豪傑の代名詞としても広く用いられている。
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武藤章

むとう あきら(1892-1948)
登場回数:1作

武藤 章(むとう あきら、1892年(明治25年)12月15日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の昭和時代の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 日中戦争、対米交渉、フィリピン戦などに従事。一夕会メンバー。統制派だったが後に東條英機との対立で逆に皇道派の山下奉文の部下に転じた。第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯となり処刑された。 岳父は陸軍次官、関東軍司令官などを歴任した尾野実信大将。
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福原元僴

ふくばら もとたけ(1815-1864)
登場回数:3作

福原 元僴(ふくばら もとたけ)は、江戸時代末期(幕末期)の長州藩の永代家老。通称は越後で、福原越後として知られる。 長州藩支藩である周防徳山藩主毛利広鎮の六男で、最後の長州藩主となる毛利元徳の実兄である。
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文観

もんかんぼうこうしん(1278-1357)
登場回数:1作

文観房弘真(もんかんぼうこうしん)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての真言律僧・真言僧・学僧・画僧。房号は文観(もんかん)、法諱は律僧としては殊音(しゅおん)、密教僧としては弘真(こうしん)。尊称は文観上人(もんかんしょうにん)で、法験無双(ほうげんむそう、比類なき法力を持つ者)・祖師再生(そしさいしょう、弘法大師空海の再誕)とも称された。正法務・大僧正・第120代東寺一長者・第64代醍醐寺座主。また、南朝における大僧正・第3代東寺座主・第66代醍醐寺座主(再任)。後醍醐天皇の真言密教上の師にして仏教政策における最大の腹心であり、後醍醐・後村上両帝の護持僧(祈祷の霊力によって天皇を守護する僧)を務めた。伝は宝蓮『瑜伽伝灯鈔』(正平20年/貞治4年(1365年))。
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平教盛

たいら の のりもり(1128-1185)
登場回数:2作

平 教盛(たいら の のりもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平忠盛の四男。平清盛の異母弟。母は藤原家隆の娘(待賢門院に仕えた女房)。平通盛、平教経の父。 保元の乱、平治の乱で兄の清盛に従って戦う。邸宅が六波羅の総門にあったことから門脇殿と通称され、さらに平氏政権での栄達に従って門脇宰相・門脇中納言と呼ばれた。鹿ケ谷の陰謀事件では娘婿の藤原成経が罪に問われたため、その赦免に奔走した。治承・寿永の乱では主に後方の守りについた。一ノ谷の戦いで嫡男の通盛を始め子息を失う。壇ノ浦の戦いの敗戦の中で兄の経盛とともに入水した。
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平手政秀

ひらて まさひで(1492-1553)
登場回数:6作
別名:狛千代丸

平手 政秀(ひらて まさひで)は、戦国時代の武将。織田信秀、信長の2代に仕える。尾張国春日井郡にあった志賀城の城主。
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