偉人

偉人

有馬氏倫

ありま うじのり(1668-1736)
登場回数:1作

有馬 氏倫(ありま うじのり)は、江戸時代中期の旗本、大名。江戸幕府第8代将軍の徳川吉宗に紀州時代から側近として仕え、伊勢西条藩の初代藩主となった。氏倫系有馬家初代。
偉人

淀屋常安

よどや じょうあん(1560-1622)
登場回数:1作

淀屋(よどや)とは、江戸時代の大坂で繁栄を極めた豪商であり、総資産は約20億両(現在の貨幣価値に換算すると約200兆円)。全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展することに大きく寄与した。 米市以外にも様々な事業を手掛け莫大な財産を築くが、その財力が武家社会にも影響することとなったため、幕府より闕所(財産没収)処分にされた。しかし、闕所処分に先立ち伯耆国久米郡倉吉の地に暖簾分けした店を開き、後の世代に再び元の大坂の地で再興した。幕末になり討幕運動に身を投じ、ほとんどの財産を自ら朝廷に献上して幕を閉じた。 淀屋を創業した岡本家によるものを前期淀屋、闕所後に牧田家により再興されたものを後期淀屋と呼ぶ。 淀屋が開拓した中之島には、かつて常安町と常安裏町(現在の中之島四丁目~六丁目)が有った。屋敷は現在の大阪市の北浜にあり、中之島に掛かる淀屋橋や常安橋にその名を残している。
偉人

劉復亨

りゅう ふくこう(?-1283)
登場回数:1作

劉 復亨(りゅう ふくこう、? - 1283年)は、モンゴル帝国・元に仕えた漢人武将。字は誠之。
スポンサーリンク
偉人

林羅山

はやし らざん(1583-1657)
登場回数:2作

林 羅山(はやし らざん、天正11年(1583年) - 明暦3年1月23日(1657年3月7日))は、江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称は又三郎。出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる。
偉人

霊仙院

れいせんいん(1637-1699)
登場回数:2作
別名:千代姫

霊仙院(れいせんいん、寛永14年閏3月5日(1637年4月29日) - 元禄11年12月10日(1699年1月10日))は、江戸幕府3代将軍徳川家光の長女で、尾張藩主徳川光友の御簾中。母は側室の自証院。名は千代姫(ちよひめ)。徳川家綱、徳川綱重、徳川綱吉の異母姉である。
偉人

和田朝盛

わだ とももり(?-?)
登場回数:1作

和田 朝盛(わだ とももり)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将・御家人。和田義盛の孫。
偉人

楫取道明

かとり みちあき(1858-1896)
登場回数:1作

楫取 道明(かとり みちあき、安政5年5月27日(1858年7月7日) - 明治29年(1896年)1月1日)は、日本の教育者。楫取素彦(小田村伊之助)と最初の妻・寿(吉田松陰の妹)との次男。台湾教育の祖。六氏先生の一人。 幼名は粂次郎(くめじろう)。幼少時に久坂玄瑞と文(松陰と寿の妹)夫婦の養子となり、玄瑞の死後に一時久坂家を継いだが、のち玄瑞の庶子の秀次郎が認知されて久坂家を継ぎ、粂次郎は生家に戻された。文はのちに美和子と改名し、寿の死後に楫取素彦と再婚した。 明治29年(1896年)1月1日、芝山巌事件で殺害された。同年1月13日、正五位を贈られた。
偉人

明智光慶

あけち みつよし(1569-1582)
登場回数:1作
別名:十五郎

明智 光慶(あけち みつよし)は、安土桃山時代の人物。明智光秀の長男。母は煕子。通称は十五郎(異説に十兵衛)。
偉人

松平頼誠

まつだいら よりのぶ(1803-1862)
登場回数:1作

松平 頼誠(まつだいら よりのぶ)は、江戸時代後期の大名。陸奥国守山藩5代藩主。水戸支流頼元系松平家6代。官位は従四位下・大学頭。
偉人

河野顕三

こうの けんぞう(1838-1862)
登場回数:1作

河野 顕三(こうの けんぞう)は、幕末の志士。坂下門外の変実行犯の一人。国学者として知られる河野守弘の外孫。
スポンサーリンク