偉人

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奥田重盛

おくだ しげもり(1647-1703)
登場回数:4作
別名:奥田孫太夫

奥田 重盛(おくだ しげもり、正保4年(1647年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は孫太夫(まごだゆう)で、最初は兵右衛門を名乗った。変名は、西村清右衛門。
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岡崎義実

おかざき よしざね(1112-1200)
登場回数:4作

岡崎 義実(おかざき よしざね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。三浦氏の庶家・岡崎氏の祖。三浦義明の弟。三浦義継の末子で三浦悪四郎と呼ばれた。神奈川県平塚市岡崎・伊勢原市岡崎にあたる相模国大住郡岡崎を領し、岡崎氏を称した。
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岡本大八

おかもと だいはち(?-1612)
登場回数:2作

岡本 大八(おかもと だいはち、生年未詳 - 慶長17年3月21日(1612年4月21日))は、安土桃山時代から江戸時代の武将。本多正純の重臣。岡本大八事件で知られる。 江戸の与力である岡本八郎左衛門の子として生まれる。キリシタンでもあり、洗礼名はパウロという。 はじめ長崎奉行の長谷川藤広に仕えたが、やがて本多正純の家臣となった。慶長14年(1609年)、有馬晴信が長崎港外においてマードレ・デ・デウス号を攻撃したとき(ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件)、晴信の監視役を務めた。ところが大八は、この事件の際の恩賞を徳川家康に斡旋すると偽って多額の賄賂を晴信から受け取った。しかし、いつまでたっても恩賞の沙汰が無いことにしびれを切らした晴信が正純と直談判したために詐欺行為が発覚。慶長17年(1612年)に晴信と直接対決が行なわれ、3月21日に駿府市中を引き回しの上、安倍川の河原で火あぶりの刑に処された。
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加藤重徳

かとう しげのり(1520-1602)
登場回数:1作

加藤 重徳(かとう しげのり)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。通称は又左衛門(またざえもん)。
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歌橋

うたはし(1807-1877)
登場回数:4作

歌橋(うたはし、文化4年3月21日(1807年4月28日) - 明治10年(1877年)9月9日)は、江戸時代後期から幕末の女性で13代将軍・徳川家定の乳母である。藤波寛忠の娘。大奥での位は上臈御年寄。院号は法好院。
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河田次郎

かわだ の じろう(?-1189)
登場回数:3作

河田 次郎(かわだ の じろう、不詳 - 文治5年9月6日(1189年10月17日))は平安時代末期、鎌倉時代初期の武士。藤原泰衡の郎党。安田次郎とも。諱は守継。 文治5年(1189年)、源頼朝の奥州征伐によって主人・藤原泰衡が敗走すると、比内郡贄柵(現秋田県大館市)の領主であった河田次郎は裏切って9月3日未明に泰衡を殺害した。6日、河田が泰衡の首級を持ち、陣岡に進んでいた頼朝の下へ参じる。頼朝は実検を行うと、泰衡の首はかつて源頼義が安倍貞任の首を釘で打ち付けさせた例に倣わせた。 その後、河田はかつての桐生六郎と同様に主君を討った不義を頼朝によって「泰衡は既にわが掌中に収まっている。何ぞ汝ごときの手を借りようや。汝は旧恩に背き、反逆を敢てするとは許し難い」と激しく咎められ、斬罪に処せられた。 以前に頼朝の父・源義朝も同じような状況で家人・長田忠致に裏切られて殺されており、頼朝の立場として河田次郎を許せなかったと考えられる。
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海野信親

うんの のぶちか(1541-1582)
登場回数:1作
別名:武田二郎/武田竜芳

海野 信親(うんの のぶちか)は、戦国時代から安土桃山時代かけての人物。甲斐の戦国大名で武田氏当主の武田信玄(晴信)の次男。武田 竜芳(たけだ りゅうほう)又は武田 竜宝 とも、諱は勝重(かつしげ)とも呼ばれる。 幼名は二郎。母は三条の方(三条院殿)で、晴信嫡男の義信、夭折した信之は同母兄弟、晴信四男で武田家家督を継承する武田勝頼は異母弟にあたる。
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覚明

かくみょう(?-1241)
登場回数:1作

覚明(かくみょう / かくめい、生没年未詳)平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧。大夫房覚明、信救得業(しんぎゅうとくごう)とも。元は藤原氏の中下級貴族の出身と見られる。源義仲(木曽義仲)の右筆。
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蒲生氏郷

がもう うじさと(1556-1595)
登場回数:4作
別名:鶴千代/蒲生賦秀/蒲生教秀

蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。 蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(やすひで)または教秀(のりひで)。キリシタン大名であり、洗礼名はレオン(レオ、またはレアン)。子に蒲生秀行。
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甘糟景継

あまかす かげつぐ(1550-1611)
登場回数:1作

甘糟 景継(あまかす かげつぐ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。越後上杉氏の家臣。越後上田衆。なお、姓は「甘粕」の表記の場合もある。 実戦はもとより、戦略眼・戦術構築等、武勇全般に優れた武将として上杉二十五将に数えられている。
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