偉人

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山内一豊

やまうち かずとよ(1545-1605)
登場回数:5作
別名:辰之助

山内 一豊(やまうち かずとよ/かつとよ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。土佐山内氏、土佐藩初代藩主。家紋は三つ柏紋。 父は岩倉織田氏の重臣・山内盛豊、母は法秀尼。祖父は久豊。兄に十郎、弟に康豊。妻は内助の功で知られる見性院。通称は伊右衛門もしくは猪右衛門(いえもん)。後に康豊の長男・忠義(第2代藩主)を養子とした。豊臣秀吉、徳川家康らに仕え、関ヶ原の戦いの小山評定において率先して徳川方に従った功績により、土佐国9万8千石を与えられた。その後、高直しにより20万2600石に加増された。
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山本佐久

やまもと さく(1809-1896)
登場回数:1作

山本 佐久(やまもと さく、文化6年(1809年) - 明治29年(1896年)5月20日)は、幕末から明治時代にかけての会津藩出身の女性。覚馬、八重、三郎の母。
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四井主馬

よつい しゅめ(?-?)
登場回数:1作

四井 主馬(よつい しゅめ、生没年不詳)は、戦国時代、安土桃山時代の忍者(初代) 。安土桃山時代、江戸時代初期の加賀藩士、富山藩士(二代)。四井は「しい」とも読む。 初め甲斐国の武田氏に仕えていたとされ、後に加賀国の前田利家に仕え、加賀忍軍を率いていたという。 天正13年(1585年)2月村井長頼に従い加賀・越中国境沿いの蓮沼城を攻めている。 関ケ原では大聖寺城落城の際に利長の命により城内に火を放ち、後に前田利政に西軍の人質となっている利政室(蒲生氏郷の娘)の救出を命じられ、大坂に赴いたという 。その後主馬が利政室を救出したとの記述は無く、結局利政は七尾から動かず西軍に味方したとされて改易になった。 なお、加賀忍軍は、大坂の陣終結後に解散されたとされるが、徳川方の警戒を解くための偽情報とも言われており、事実は定かではない。 子の四井喜兵衛は利政の伏見在番衆として名前が見え、元和侍帳では四井喜兵衛 百石と記され、御馬廻衆に属した。 その後父と同様に主馬を名乗った事が「寛永四年侍帳」に見える。寛永14年(1637年)本多政重・横山長知から、江戸金沢間の伝馬の賃金見積りを通知されている。 同16年(1639年)前田利次の富山立藩に従い、30石を加増された。承応4年(1655年)越中婦負郡内から年貢が納入され、主馬に23石が支給された記録が残る。 二代藩主正甫の分限帳に四井氏の名前は見えず、絶家となった。
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市来琴

いちき こと(1832-1913)
登場回数:3作

市来 琴(いちき こと、天保3年(1832年) - 大正2年(1913年))は、薩摩藩士市来正之丞の妻。薩摩藩士西郷吉兵衛の長女。西郷隆盛の妹で、西郷従道の姉。 父の存命中には正之丞に嫁いでいたようであるが、嘉永5年(1852年)祖父・父母が相次いで亡くなり、翌々年には兄・吉之介(隆盛)、長弟・吉次郎とともに西郷家の家計を支えた。また母の実家の椎原家に並んで市来家は、西郷家にとって親密な縁戚であり、両家への西郷隆盛の書簡が多々残っている。
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児玉就忠

こだま なりただ(1506-1562)
登場回数:1作

児玉 就忠(こだま なりただ)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。安芸児玉氏の一族。児玉元実の次男。兄に児玉就兼、弟に児玉就方。子に児玉元良、小方元信、児玉春種、内藤元輔。
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宍戸梅軒

ししど ばいけん(?-?)
登場回数:1作

宍戸 梅軒(ししど ばいけん)は、剣豪・宮本武蔵の伝記『二天記』に登場する伊賀国の鎖鎌の使い手「宍戸某」なる人物を元に、吉川英治が小説『宮本武蔵』において脚色・創作した登場人物である。 小説では「宍戸八重垣流」という流派を自ら編み出した鎖鎌の達人で、慶長10年(1605年)に宮本武蔵と決闘を演じた。 『宮本武蔵』の登場人物の中でもとりわけ個性的な魅力に富み、人気が高い。「鎖鎌」という個性的な武具を操る。武蔵との決闘場面は、作品前半を彩る鮮烈なエピソードのひとつであり、映画化作品等においてもまず欠かせない見せ所となっている。宍戸梅軒はいわゆる求道的「武芸者」としては描かれておらず、野武士集団の頭目であり、武芸というよりは殺傷術の一つとして自らの鎖鎌の技を鍛錬している。いまだ道としての「剣」に目覚めていない、荒くれ者の痕跡を残した小説前半の新免武蔵にとって、いわば「自らに近しい何者か」として現れる敵であり、その成長過程において乗り越えられるべき壁として描かれた、と言って良いだろう。 モデルとなった宍戸某は、『二天記』における記載のほかに実在を示す証拠はない。また『二天記』は史料性に乏しく、この記載自体も武蔵の死後に付け加えられたものだと一般に考証されている。 「宍戸梅軒」の名前については、福島県で活動した実在の俳人である宍戸梅軒から取ったと考えられる。大正の初め、本格的に作家活動を開始する以前の吉川と、この宍戸梅軒が山梨県の旅先で知り合い、意気投合して深夜まで語り合ったという逸話が伝わっている。
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柴田朝意

しばた とももと(?-1609)
登場回数:1作

柴田 朝意(しばた とももと)は、江戸時代前期の仙台藩重臣。伊達騒動の主要人物の一人。通称の柴田外記で知られる。
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酒井忠挙

さかい ただたか(1648-1720)
登場回数:1作

酒井 忠挙(さかい ただたか)は、江戸時代前期の譜代大名。上野厩橋藩(前橋藩)の第5代藩主。雅楽頭系酒井家10代。第4代将軍・徳川家綱時代に大老を務めた酒井忠清の長男。正室は筑前福岡藩主・黒田光之の娘、筑姫。幕府役職は奏者番兼寺社奉行、後に大留守居。第8代将軍・徳川吉宗の政権下では政治顧問として老中並に重用された。号は咸休子。
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宗尊親王

むねたかしんのう(1242-1274)
登場回数:1作

宗尊親王(むねたかしんのう)は、鎌倉幕府6代将軍(在任:1252年 - 1266年、皇族で初めての征夷大将軍)。後嵯峨天皇の第一皇子。
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春桂院

しゅんけいいん(1559-1616)
登場回数:1作
別名:幸姫

春桂院(しゅんけいいん、永禄2年6月7日(1559年7月11日) - 元和2年4月18日(1616年6月2日))は、戦国時代から江戸時代初期の女性。前田利家の長女で、生母はまつ(芳春院)。前田長種の妻。名は幸姫(こうひめ)。別名に一色殿(いっしきどの)。 子女は前田直知ほか一男と溝口善勝室。
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