偉人

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緒方竹虎

おがた たけとら(1888-1956)
登場回数:1作

緒方 竹虎(おがた たけとら、1888年(明治21年)1月30日 - 1956年(昭和31年)1月28日)は、日本のジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。二男の緒方研二は元NEC副社長。三男の緒方四十郎は元日本銀行理事。
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小笠原長経

おがさわら ながつね(1179-1247)
登場回数:2作

小笠原 長経(おがさわら ながつね)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府御家人。小笠原長清の子。
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小山田信有

おやまだ のぶあり(1519-1552)
登場回数:1作

小山田 信有(おやまだ のぶあり)は、戦国時代の武将。甲斐国東部の郡内地方の有力国人である小山田氏当主。出羽守を称した。弥三郎を称した小山田信有・小山田信茂の父。
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小松姫

こまつひめ(1573-1620)
登場回数:2作
別名:子亥/稲姫

小松姫(こまつひめ、天正元年(1573年) - 元和6年2月24日(1620年3月27日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。上田藩および松代藩の初代藩主・真田信之(信幸)の正室。徳川氏譜代家臣の本多忠勝の娘。幼名は於子亥(おねい)。小松殿(こまつどの)、稲姫(いなひめ)とも称される。徳川家康または徳川秀忠の養女として真田信之に嫁ぎ、信政、信重、まん(高力忠房室)、まさ(佐久間勝宗室)らを生んだ。
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小島弥太郎

こじま やたろう(?-?)
登場回数:1作
別名:小島貞興/鬼小島弥太郎

小島 弥太郎/小島 貞興(こじま やたろう / こじま さだおき)は、戦国時代の武将。上杉氏の家臣。『絵本甲越軍記』では鬼小島弥太郎として登場する。妙高高原辺りの出身といわれ、越後国の戦国大名・上杉謙信の幼少期から側近として仕えた。強力無双の豪傑で「鬼小島」と恐れられたといわれているが、上杉氏の軍役帳や名簿に記載されておらず、実在したかどうかを疑われている。上杉家中には小島姓を名乗る人物が多く存在するため、そこから創作したとする説もある。 しかし、彼に関する伝説は多く、足利義輝の飼う大猿を懲らしめたり(同様の逸話は太田道灌にもある)、甲斐武田氏に使者した際に襲い掛かってきた猛犬を打ち負かしたり、山県昌景が弥太郎との一騎討ちの最中、武田信玄の嫡男・義信が窮地に陥るのを見て、弥太郎に「主君の御曹司の窮地を救いたい為、勝負を預けたい」と願い出たところ、弥太郎が快諾したことに恩義を受け、川中島の戦いの際に弥太郎の事を「花も実もある勇士」と賞賛したなど、多彩な逸話が残されている。 伝説では、弥太郎は乙吉城主(新潟県長岡市)であったとされる。弥太郎の墓とされるものが、長野県飯山市の英岩寺にある。また、鬼小島弥太郎戦死の地というのが新潟県長岡市栃尾大野町の天神山にある。
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小林虎三郎

こばやし とらさぶろう(1828-1877)
登場回数:1作

小林 虎三郎(こばやし とらさぶろう)は、日本の武士・越後国長岡藩士。大参事。「米百俵」の逸話で知られる。
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松井友閑

まつい ゆうかん(?-?)
登場回数:5作

松井 友閑(まつい ゆうかん、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。松井長之の次男、松井正之の弟、松井康之の叔父。官名は宮内卿法印(正四位下)、庵号は徳庵。
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松沢一鶴

まつざわ いっかく(1900-1965)
登場回数:1作

松沢 一鶴(まつざわ いっかく、1900年9月7日 - 1965年1月10日)は、日本の競泳選手、指導者。元東京都教育委員会委員長。位階は正五位。後に「東京式」と呼ばれることとなる1964年東京オリンピックの閉会式の演出を手掛けた人物でもある。
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松平義行

まつだいら よしゆき(1656-1715)
登場回数:1作

松平 義行(まつだいら よしゆき)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。信濃国高井藩主、のち美濃国高須藩初代藩主。官位は従四位下・権少将、摂津守。
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松平乗全

まつだいら のりやす(1795-1870)
登場回数:2作

松平 乗全(まつだいら のりやす)は、江戸時代後期の大名・老中。三河国西尾藩4代藩主。大給松平家宗家14代。官位は従四位下・侍従、和泉守。
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