偉人豊倹院 ほうけんいん(?-?)登場回数:1作別名:志賀豊倹院(ほうけんいん、生没年不詳)は、江戸幕府13代将軍徳川家定の側室。名は志賀(しが)。父は旗本の堀利邦。法名は満倹院とも。 2020.09.01偉人
偉人坊門清忠 ぼうもん きよただ(1283-1338)登場回数:1作坊門 清忠(ぼうもん きよただ)は、鎌倉時代から南北朝時代初期にかけての公卿。従三位坊門基輔の孫、左中将坊門俊輔の子。後醍醐天皇の古参の側近として建武政権下で活躍し、南北朝分立後は南朝に仕えた。建武政権・南朝を文書行政面から支え、重臣吉田定房との相次ぐ死は後醍醐帝に深く悼まれた。歌人でもあり、勅撰集『続千載和歌集』、準勅撰集『新葉和歌集』等に入集。 2020.09.01偉人
偉人北条高広 きたじょう たかひろ(1517-1587)登場回数:3作別名:毛利高広/喜多条高広北条 高広(きたじょう たかひろ)は、戦国時代の武将。越後国刈羽郡北条(新潟県柏崎市北条)の領主、北条城主。 娘に沼田朝憲室がいたと伝わるが、朝憲死去の年代から否定されている。 2020.09.01偉人
偉人北条時頼 ほうじょう ときより(1227-1263)登場回数:1作北条 時頼(ほうじょう ときより)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府第5代執権(在職:1246年 - 1256年)である。北条時氏の次男で、4代執権北条経時の弟。北条時輔、第8代執権北条時宗、北条宗政、北条宗頼らの父。通称は五郎、五郎兵衛尉、武衛、左近大夫将監、左親衛、相州、また出家後は最明寺殿、最明寺入道とも呼ばれた。 2020.09.01偉人
偉人北条貞将 ほうじょう さだゆき(1302-1333)登場回数:1作別名:金沢貞将北条 貞将(ほうじょう さだゆき)は、鎌倉時代末期の北条氏金沢流の武将。鎌倉幕府第17代執権であったとする説もある。鎌倉幕府15代執権・北条貞顕の嫡男。母は北条時村の娘。屋号を用いて金沢 貞将(かねさわ さだゆき)とも呼ばれる。 鎌倉時代末期の倒幕運動の中で幕府軍の将として各地を転戦して活躍したが、新田義貞軍に敗れてこの時、父と同じく壮烈な最期を遂げた。 2020.09.01偉人
偉人牧野信成 まきの のぶしげ(1578-1650)登場回数:1作牧野 信成(まきの のぶしげ、1578年(天正6年) - 1650年5月11日(慶安3年4月11日))は、戦国武将、江戸時代前期の大名。武蔵石戸藩主、下総関宿藩初代藩主。丹後田辺藩牧野家初代。 2020.09.01偉人
偉人堀田正俊 ほった まさとし(1634-1684)登場回数:1作堀田 正俊(ほった まさとし)は、江戸時代前期から中期の大名。江戸幕府の老中・大老。上野安中藩主。後に下総古河藩の初代藩主。正俊系堀田家初代。 2020.09.01偉人
偉人本寿院 ほんじゅいん(1807-1885)登場回数:3作本寿院(ほんじゅいん、文化4年(1807年) - 明治18年(1885年)2月3日)は、江戸幕府の12代将軍・徳川家慶の側室で、13代将軍・徳川家定の生母。他にも2人の男児を出産したが、いずれも早世した。本寿院は落飾後の院号で、実名は美津、堅子とも言う。父は幕臣の跡部正賢(跡部正寧とする説もある)。姉に、松平斉善の侍女となった浜尾(本立院)がいる。 2020.09.01偉人
偉人本多忠民 ほんだ ただもと(1817-1883)登場回数:1作本多 忠民(ほんだ ただもと)は、江戸時代後期の大名・老中。三河国岡崎藩主。忠勝系本多家宗家15代。官位は従四位下・侍従、上総介、中務大輔、美濃守。 2020.09.01偉人
偉人妙玖 みょうきゅう(1499-1546)登場回数:1作妙玖(みょうきゅう、明応8年(1499年) - 天文14年11月30日(1546年1月2日))は、戦国時代の女性。毛利元就の正室。妙玖は法名で本名は不詳。父は吉川国経、母は高橋直信の娘、兄弟には吉川元経、吉川経世ら。子に長女(高橋氏人質、夭折)、毛利隆元、五龍局、吉川元春、小早川隆景。三女 夭折 2020.09.01偉人