偉人

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島津綱貴

しまづ つなたか(1650-1704)
登場回数:1作

島津 綱貴(しまづ つなたか)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。島津氏20代当主。薩摩藩の第3代藩主。
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島本仲道

しまもと なかみち(1833-1893)
登場回数:1作

島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833年6月5日) - 明治26年(1893年)1月2日)は、明治時代の官僚、法律家である。通称は審次郎、号は北洲。
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統子内親王

とうしないしんのう(1126-1189)
登場回数:2作

統子内親王(とうし/むねこないしんのう、大治元年7月23日(1126年8月13日) - 文治5年7月20日(1189年9月2日))は、平安時代後期の日本の皇族。後白河天皇の准母として皇后(皇后宮)となり、のち女院。崇徳朝賀茂斎院。院号は上西門院(じょうさいもんいん)。法名は金剛親・真如理。 初名は恂子。鳥羽天皇第2皇女、母は中宮・藤原璋子(待賢門院)。同母兄弟に崇徳天皇、後白河天皇、覚性入道親王、禧子内親王らがいる。
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藤原景清

ふじわら の かげきよ(?-1196)
登場回数:1作

藤原 景清(ふじわら の かげきよ、? - 建久7年(1196年)?)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武士。藤原忠清の子。
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藤原師尹

ふじわら の もろただ(920-969)
登場回数:1作

藤原 師尹(ふじわら の もろただ)は、平安時代中期の公卿。摂政関白太政大臣・藤原忠平の五男。官位は正二位・左大臣。小一条流の祖。
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藤原多子

ふじわら の まさるこ(1140-1202)
登場回数:1作

藤原 多子(ふじわら の まさるこ)は、近衛天皇の皇后。次いで二条天皇の后となり「二代の后」と呼ばれた。父は徳大寺公能で、母は藤原豪子。養父は藤原頼長、養母は藤原幸子。令和現在においても最後の太皇太后である。
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藤原能長

ふじわら の よしなが(1022-1082)
登場回数:1作

藤原 能長(ふじわら の よしなが)は、平安時代中期から後期にかけての公卿。藤原北家中御門流、右大臣・藤原頼宗の四男。官位は正二位・内大臣、贈従一位、太政大臣。
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藤田小四郎

ふじた こしろう(1842-1865)
登場回数:2作

藤田 小四郎(ふじた こしろう、天保13年(1842年) - 元治2年2月23日(1865年3月20日))は、江戸時代末期(幕末)の水戸藩士。水戸天狗党の首領格。贈従四位(1891年)。
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徳川家継

とくがわ いえつぐ(1709-1716)
登場回数:1作

徳川 家継(とくがわ いえつぐ)は、江戸幕府の第7代征夷大将軍(在任:1713年 - 1716年)。 第6代将軍・徳川家宣の四男。母は側室で浅草唯念寺住職の娘・お喜代(月光院)。一時期、徳川家の旧苗字「世良田」を用いて世良田 鍋松(せらた なべまつ)と呼ばれていた。婚約者は霊元天皇の皇女・八十宮吉子内親王。史上最年少で任官し、また史上最年少で死去した征夷大将軍である。
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徳川慶頼

とくがわ よしより(1828-1876)
登場回数:1作

徳川 慶頼(とくがわ よしより)は、江戸時代の田安徳川家の第5代・8代当主。
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