偉人

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来栖三郎

くるす さぶろう(1886-1954)
登場回数:1作

来栖 三郎(くるす さぶろう、1886年(明治19年)3月6日 - 1954年(昭和29年)4月7日)は、日本の外交官。駐ドイツ特命全権大使としてベルリンで日独伊三国軍事同盟に調印。その後、特命全権大使としてアメリカ合衆国に派遣され、太平洋戦争直前の日米交渉にあたる。戦後GHQにより公職追放された。
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隆清院

りゅうせいいん(?-?)
登場回数:1作

隆清院(りゅうせいいん、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての女性で、関白・豊臣秀次の娘であり、真田信繁の側室となった人物。子に御田姫(顕性院)、三好幸信がいる。名は不詳である。
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鈴木貫太郎

すずき かんたろう(1868-1948)
登場回数:1作

鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日〈慶応3年12月24日〉- 1948年〈昭和23年〉4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は従一位勲一等功三級男爵。 海軍士官として海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任。さらに枢密顧問官も兼任した。枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第70代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。陸軍の反対を押し切って、ポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦を終戦へと導いた。
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廊御方

ろうのおんかた(1161-?)
登場回数:1作

廊御方 (廊の御方、ろうのおんかた 応保元年(1161年)? - 没年不詳)は平安時代末期の女性。平清盛の八女。母は常盤御前。源義経の異父妹とされる。別名は三条殿。
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脇坂安照

わきさか やすてる(1658-1722)
登場回数:3作

脇坂 安照(わきさか やすてる)は、江戸時代中期の大名。播磨国龍野藩の第2代藩主。龍野藩脇坂家4代。官位は従五位下・淡路守。
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澤宣嘉

さわ のぶよし(1836-1873)
登場回数:3作

澤 宣嘉(さわ のぶよし)は、幕末の公卿。権中納言・姉小路公遂の五男。参議・澤為量の養嗣子(娘婿)。官位は従三位・右衛門権佐。澤家8代当主。維新後、初代外務卿。
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尾高惇忠

おだか あつただ/じゅんちゅう(1830-1901)
登場回数:1作
別名:尾高新五郎

尾高 惇忠(おだか あつただ、文政13年7月27日〈1830年9月13日〉 - 明治34年〈1901年〉1月2日)は、日本の豪農、志士、実業家。富岡製糸場の初代場長、第一国立銀行仙台支店支配人などを務めた。諱ははじめ惇孝(あつたか)、後に惇忠と改めた。惇忠の読みは「じゅんちゅう」とも。通称は新五郎、号は藍香(らんこう)。
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勝民子

かつ たみこ(1821-1905)
登場回数:1作

勝 民子(かつ たみこ、1821年(文政4年) - 1905年(明治38年))は、江戸時代末期から明治時代の女性。勝海舟の正妻。薪炭商兼質屋・砥目家の娘。元深川の芸者との説あり。
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茶屋四郎次郎 清忠

ちゃや しろうじろう(1582-1603)
登場回数:1作

茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう きよただ)は、初代の長男。父の地盤を引き継ぎ、徳川家御用達商人をつとめた。豊臣秀吉死後、徳川家康の権勢が絶大になるに及び、清忠も「淀川過書船支配」など京・大坂の物流の取締役に任命され、優遇されるようになる。1600年の関ヶ原の戦い後には京都の情勢不穏を家康に進言し、京都所司代設置のきっかけを作った。板倉勝重が所司代に就任すると上方五カ所(京都・大坂・奈良・堺・伏見)町人の御礼支配、京都町人頭にも任命されたが、1603年に死亡した。
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母里小兵衛

もり こへえ(?-1569)
登場回数:1作

母里 小兵衛 (もり/ぼり こへえ、生年不詳-1569年)は、戦国時代の武将。黒田家の家臣である。
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