偉人

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伊藤博文

いとう ひろぶみ(1841-1909)
登場回数:14作

伊藤 博文(いとう ひろぶみ、1841年10月16日(天保12年9月2日)- 1909年(明治42年)10月26日)は、明治期の日本の政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。 明治時代に4度にわたって内閣制度発足以降の内閣総理大臣(初代:1885年-1888年、5代:1892年-1896年・7代:1898年、10代:1900年-1901年)を務めたことで知られる。一次内閣時には明治憲法の起草の中心人物となり、二次内閣では日清講和条約の起草にあたった。四次内閣の組閣に際して立憲政友会を結党して初代総裁(在職1900年-1903年)となり、政党政治に道を開いた。他、初代枢密院議長(在職1888年-1889年)、初代貴族院議長(在職1890年-1891年)、初代韓国統監(在職1905年-1909年)、元老などを歴任した。 諱は博文(ひろぶみ、「ハクブン」と読むこともある)。「越智宿禰博文」とも名乗った。幼名は利助(りすけ)、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、俊輔(しゅんすけ)とし、さらに春輔(しゅんすけ)と改名した。
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井伊直亮

いい なおあき(1794-1850)
登場回数:1作

井伊 直亮(いい なおあき)は、近江彦根藩の第14代藩主(15代藩主、12代当主という数え方もある)。江戸幕府の大老である。井伊直弼の兄で養父でもある。
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井上清直

いのうえ きよなお(1809-1868)
登場回数:5作

井上 清直(いのうえ きよなお、文化6年(1809年) - 慶応3年12月25日(1868年1月19日))は、幕末の江戸幕府御家人(後に旗本)。 内藤歳由の三男、母は高橋誠種の娘。家禄現米80石の幕府御家人・井上新右衛門の養子。同じく旗本の川路聖謨は実兄。江戸幕府最後の西国郡代の窪田鎮勝(蒲池鎮克)は従弟。幼名は松吉。通称は新右衛門、官位は信濃守。
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一条能成

いちじょう よしなり(1163-1238)
登場回数:1作

一条 能成(いちじょう よしなり)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿。藤原北家中関白家庶流一条家、大蔵卿・一条長成の嫡男。官位は従三位・非参議。
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稲葉正成

いなば まさなり(1571-1628)
登場回数:2作

稲葉 正成(いなば まさなり)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将、大名。美濃国十七条藩主、下野国真岡藩初代藩主。正成系稲葉家宗家初代。
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宇佐美祐茂

うさみ すけもち(?-?)
登場回数:1作

宇佐美祐茂(うさみ すけもち)とは、伊豆国宇佐美荘を拠点とし、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて生きた武士であり、宇佐美氏の祖。宇佐美助茂、宇佐美三郎とも。 藤原南家の流れをくむ工藤氏の6代目であり伊東氏の祖でもある開発領主の工藤祐隆(伊東家次)の本領である、伊東庄・宇佐美庄を受け継いだ工藤祐継の子であり、『曽我物語』(曾我兄弟の仇討ち)で敵役となった工藤祐経の弟でもある。父から宇佐美荘を継承し、宇佐美氏を名乗るようになった。 1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵から随行し、奥州攻めや京都入りにも参加した。
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雲松院

うんしょういん(1717-1746)
登場回数:1作

雲松院(うんしょういん、享保2年8月1日(1717年9月5日) - 延享2年閏12月16日(1746年2月6日))は、紀州徳川家当主徳川宗直の娘で、征夷大将軍徳川吉宗の養女。仙台藩主伊達宗村の正室で藩主伊達重村の養母。同じく吉宗の養女である浄岸院の養妹にあたる。本名は峰姫、後に利根姫(とねひめ)。伊達家に入って温子(はるこ)。『幕府祚胤伝』では綱子。将軍養女なので当然、本人および幕府からの付属官吏は須原屋版武鑑に登場しており、武鑑では利根姫で記載される。 仙台市博物館に肖像画があり、『仙台市史 通史5 近世3』に掲載されている。
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英勝院

えいしょういん(1578-1642)
登場回数:2作
別名:おはち

英勝院(えいしょういん、天正5年11月9日(1578年12月7日) - 寛永19年8月23日(1642年9月17日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。徳川家康の側室。
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塩田三郎

しおだ さぶろう(1843-1889)
登場回数:2作

塩田 三郎(しおだ さぶろう、天保14年11月6日(1843年12月26日) - 明治22年(1889年)5月12日)は、日本の武士、外交官。本名は篤信。号は松雲。
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奥平定能

おくだいら さだよし(1537-1599)
登場回数:1作

奥平 定能(おくだいら さだよし)は、戦国時代の武将。 奥三河の国衆で、奥平定勝(貞勝、道文入道)の嫡男。母は水野忠政の妹。兄弟は奥平貞治。子は奥平信昌・仙千代・奥平昌勝、娘(本多重純(本多広孝の次男)室のち奥平貞友継室)がいる。幼名は仙千代。監物丞、通称は美作守。諱は近世の家譜・編纂物では「貞能」とするが、文書上からは「定能」であることが確認される。
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