偉人

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秋元喬知

あきもと たかとも(1649-1714)
登場回数:3作

秋元 喬知(あきもと たかとも)は、江戸時代前期から中期の大名。甲斐谷村藩主、武蔵川越藩主。老中を元禄12年(1699年)から正徳4年(1714年)まで務めた。館林藩秋元家4代。実父の戸田忠昌、実弟の戸田忠真と共に老中を務めた。
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春日局

かすが の つぼね(1579-1643)
登場回数:4作
別名:斎藤福/おふく

春日局/斎藤福(かすが の つぼね/さいとう ふく、天正7年〈1579年〉 - 寛永20年9月14日〈1643年10月26日〉)は、安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。 父は美濃国の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三、母は稲葉良通(一鉄)の娘である安、又は稲葉一鉄の姉の娘於阿牟(おあむ)、養父は稲葉重通。稲葉正成の妻で、正勝、正定、正利の母。養子に堀田正俊。江戸城大奥の礎を築いた人物であり、松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人に数えられた。また、朝廷との交渉の前面に立つ等、近世初期における女性政治家として随一の存在であり、徳川政権の安定化に寄与した。
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勝小鹿

かつ ころく(1852-1892)
登場回数:1作

勝 小鹿(かつ ころく、嘉永5年2月17日(1852年3月7日) - 明治25年(1892年)2月8日)は、日本の海軍軍人。初代海軍卿勝海舟の嫡男。幼名は小六。最終階級は海軍少佐。
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小笠原信興

おがさわら のぶおき(?-?)
登場回数:1作
別名:小笠原長忠

小笠原 信興(おがさわら のぶおき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。遠江高天神城主。「長忠」の名で知られるが、これは軍記物においてのみ見られる呼称で、初名は氏助で後に信興と改名している。『信長公記』は長忠と信興(氏助)を別人として扱っており、これにより後世の歴史書や研究・巷談において混乱が起きている。
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小山良師

おやま よしもろ(1648-1715)
登場回数:3作

小山 良師(おやま よしもろ、慶安元年(1648年) - 正徳5年9月4日(1715年10月1日))は、江戸時代前期の武士。赤穂藩浅野氏の家臣。通称は源五左衛門(げんござえもん)、一説に源五右衛門(げんごえもん)。
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小川祐忠

おがわ すけただ(?-1601)
登場回数:1作

小川 祐忠(おがわ すけただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。伊予国分城主。通称は佐平次、孫一郎。官位は土佐守、左近太夫。別名で小川 宗氏(おがわ むねうじ)とも言う。
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小野為八

おの ためはち(1829-1907)
登場回数:1作

小野 為八(おの ためはち)は、江戸時代幕末の医者・長州藩医。名は正朝(まさとも)。
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少弐頼尚

しょうに よりひさ(1294-1372)
登場回数:1作

少弐 頼尚(しょうに よりひさ/よりなお)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将。少弐氏6代当主。
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松下清景

まつした きよかげ(1545-1597)
登場回数:1作

松下 清景(まつした きよかげ、天文14年(1545年) - 慶長2年5月19日(1597年7月3日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。後に井伊氏の家老を務めた。通称は源太郎、源左衛門。墓は上州群馬郡(高崎市箕郷町)龍門寺葬。法名は本光院心月不染居士。官位は従五位下、豊前守。
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松田康郷

まつだ やすさと(1540-1609)
登場回数:1作

松田 康郷(まつだ やすさと)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。後北条氏の家臣。武勇に優れた話が残る。
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