偉人

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大久保忠隣

おおくぼ ただちか(1553-1628)
登場回数:5作

大久保 忠隣(おおくぼ ただちか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・譜代大名。相模小田原藩の初代藩主。父は大久保忠世、母は近藤幸正の娘。講談で有名な旗本の大久保忠教の甥にあたる。小田原藩大久保家初代。
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大高忠雄

おおたか ただお(1672-1703)
登場回数:4作
別名:大高源吾/大高源五

大高 忠雄(おおたか ただお、寛文12年(1672年)-元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。本姓は安倍氏。家紋は丸に三盛亀甲花菱。通称は源五・源吾(げんご)。また、子葉という雅号を持ち、俳諧にも事績を残した。
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大石信清

おおいし のぶきよ(1677-1703)
登場回数:4作
別名:大石瀬左衛門

大石 信清 (おおいし のぶきよ、延宝5年(1677年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は、はじめ源蔵(げんぞう)、のちに瀬左衛門(せざえもん)。
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大槻俊斎

おおつき しゅんさい(1806-1862)
登場回数:1作

大槻 俊斎(おおつき しゅんさい、文化3年(1806年) - 文久2年4月9日(1862年5月7日))は、幕末の蘭方医、幕府医師。初代西洋医学所頭取。名は肇。
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大野治胤

おおの はるたね(?-1615)
登場回数:1作

大野 治胤(おおの はるたね)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。豊臣氏の家臣。道犬斎(どうけんさい)の号で知られ、大野道犬とも云う。
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鷹司信尚

たかつかさ のぶひさ(1590-1621)
登場回数:1作

鷹司 信尚(たかつかさ のぶひさ)は、江戸時代前期の公卿。関白・鷹司信房の子。官位は従一位・関白・左大臣。
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辰野保

たつの たもつ(1891-1938)
登場回数:1作

辰野 保(たつの たもつ、1891年(明治24年)1月10日 - 1938年(昭和13年)10月17日)は、日本の陸上競技選手、弁護士、政治家。 父は建築家の辰野金吾、兄はフランス文学者の辰野隆。
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男谷信友

おたに のぶとも(1798-1864)
登場回数:2作

男谷 信友(おたに のぶとも)は、幕末の幕臣、剣術家。直心影流男谷派を名乗った。その実力の高さと温厚な人格から、「幕末の剣聖」と呼ばれることもある。通称は精一郎。門下から島田虎之助、榊原鍵吉などの名剣士が輩出した。
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竹腰正武

たけのこし まさたけ(1685-1759)
登場回数:1作

竹腰 正武(たけのこし まさたけ)は、尾張藩の御附家老、美濃今尾領の第5代領主。石川章長の四男。 尾張藩附家老の竹腰家とは別家の竹腰正辰家の養子となり正辰家を相続していたが、本家の正映が宝永6年(1709年)1月18日に死去したため、同年3月22日に跡を継いだ。 宝永7年(1710年)3月、将軍・家宣に初めて拝謁、12月に従五位下・山城守に叙任、元文4年(1739年)4月に藩主・宗勝に従って尾張に帰藩、延享2年(1745年)には将軍代替わりに宗勝の名代として江戸に上った。宝暦9年(1759年)12月8日に死去。 正武の長男・正方は家督相続前の元文5年(1740年)に29歳で死去、寛保元年(1741年)に養子として正喜(植村家包の弟)を迎えたが宝暦3年(1753年)に34歳で病没、結局尾張藩主・徳川宗勝の五男・勝起が養子となって竹腰家の家督を継いだ。
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中院通村

なかのいん みちむら(1588-1653)
登場回数:1作

中院 通村(なかのいん みちむら)は、江戸時代前期の公卿・歌人。権中納言・中院通勝の子。官位は正二位・内大臣。後水尾天皇の第一の側近で、反幕府派の公卿。小倉藩主細川忠興とは義兄弟。最終官職の唐名から中院内府とも呼ばれる。
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