偉人

偉人

稲葉正邦

いなば まさくに(1834-1898)
登場回数:2作

稲葉 正邦(いなば まさくに)は、幕末の大名・老中・京都所司代で、山城淀藩12代目(最後)の藩主。正成系稲葉家宗家16代。
偉人

宇津木景福

うつき かげよし(1809-1862)
登場回数:2作

宇津木 景福(うつき かげよし)は、幕末期の彦根藩士。彦根藩士古沢六右衛門の四男。通称は六之丞(ろくのじょう)。幼名・留吉。 近江国で生まれる。文政4年(1821年)、宇津木六之丞景俊の養嗣子となり、350石の宇津木六之丞家を継ぐ。 文政10年(1827年)、江戸へ出府し、藩主・井伊直亮の使番取次となる。また在府中には梁川星巌と親交があったという。天保5年(1834年)、母衣役となったため彦根に帰り、天保12年(1841年)に物頭、弘化3年(1846年)に表用人となる。一方で相模湾の海防のため相模国に1万4600石を宛がわれ、後には相州詰長期守護として警備に当たった。かねて親交のあった井伊直弼が藩主を継ぎ、安政5年(1858年)に直弼が幕府大老に就任すると、自身は藩の公用人となり、通商条約締結のために長野主膳が外部情報を集める一方で、藩論をまとめるために奔走した。以後も長野らとともに将軍継嗣問題や安政の大獄の処理に活躍した。安政7年(1860年)、直弼が桜田門外の変で暗殺された後も藩主に就任した井伊直憲に引き続き側役として仕えた。直弼の秘書課長的な役割に任じられ、当時の様子は『公用方秘録』として記録され後世に残った。 文久2年(1862年)に藩論が尊皇攘夷に傾くと粛清の対象となり、長野らとともに彦根に捕えられて禁固、同年に処刑された。享年54。
偉人

栄姫

えいひめ(1585-1635)
登場回数:2作
別名:大涼院/ねね姫

栄姫(えいひめ、天正13年 (1585年) - 寛永12年1月12日(1635年3月1日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。福岡藩初代藩主・黒田長政の継室。別称に、ねね姫。出家後、大涼院と号した。
スポンサーリンク
偉人

益満休之助

ますみつ きゅうのすけ(1841-1868)
登場回数:2作

益満 休之助(ますみつ きゅうのすけ)は、幕末の薩摩藩士。
偉人

塩冶高貞

えんや たかさだ(?-1341)
登場回数:1作

塩冶 高貞(えんや たかさだ、旧字体:鹽冶 髙貞)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。鎌倉幕府出雲国守護、のち建武政権・室町幕府では隠岐国守護も兼任。北朝隠岐守・近江守。従五位上。家紋は花輪違。
偉人

押川春浪

おしかわ しゅんろう(1876-1914)
登場回数:1作

押川 春浪(おしかわ しゅんろう、1876年3月21日 - 1914年11月16日)は日本の作家(冒険小説、SF)、編集者。愛媛県出身、本名は方存(まさあり)。冒険小説のジャンルを定着させ、雑誌『冒険世界』『武侠世界』で主筆を務めて多くの後進の作家、画家育成に尽力した。
偉人

岡田忠養

おかだ ただやす(?-?)
登場回数:1作

岡田 忠養(おかだ ただやす、生没年不詳)は、幕末の幕臣(新規旗本)。岡田林次郎の子。通称は利喜次郎。官名は備後守、安房守。 安政2年(1855年)5月に下田奉行に任ぜられる。翌年ハリスと諸々の事案に対して談合をしたが、ハリスが上府を申し立てている最中に中村時万が着任し、職を離れた。のちに小普請奉行、作事奉行を歴任し、慶応3年(1867年)11月5日に勘定奉行並に就任し、翌2月16日に清水家小普請支配に転出している。
偉人

沖田総司

おきた そうじ(1842-1868)
登場回数:9作

沖田 総司(おきた そうじ、天保13年(1842年)? - 慶応4年5月30日(1868年7月19日))は、幕末の武士、新選組一番隊組長及び撃剣師範。本姓は藤原を称した。諱は春政、後に房良(かねよし)。幼名は宗次郎。
偉人

加藤明英

かとう あきひで(1652-1712)
登場回数:1作

加藤 明英(かとう あきひで)は、近江水口藩の第2代藩主、下野壬生藩の初代藩主。水口藩加藤家4代。
偉人

河原村伝兵衛

かわらむら でんべえ(?-?)
登場回数:1作

河原村 伝兵衛(かわらむら でんべえ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の重臣である山県氏の家臣。姓は川原とも。
スポンサーリンク