偉人

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辰路

たつじ(1846-1910)
登場回数:1作

辰路(たつじ、弘化3年(1846年) - 明治43年(1910年))は、京都島原桔梗屋の芸妓である。本名、井筒タツ。辰次、お辰とも。 久坂玄瑞となじみ深く、その息子・秀次郎は辰路との間の子であるとも、伏見にいたもう一人の馴染みの女性との子であるともいわれる。 明治3年(1870年)4月、当時の角屋当主(十代目)と桔梗屋の女将の仲立ちによって、下京の裕福な農家の竹岡甚之助と結婚する。 明治43年(1910年)、他界。65歳であった。 墓所は京都市西七条の「安阿弥寺」にある。
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智雲院

ちうんいん(?-1622)
登場回数:2作
別名:お藤/光秀尼

智雲院(ちうんいん、? ‐ 元和8年(1622年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性で、豊臣秀長の正室。 大和国出身で法華寺の興俊尼という比丘尼であったと伝わる。名はお藤で、後に光秀尼と言われていた。父は秋篠伝左衛門。
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竹崎季長

たけさき すえなが(1246-1314)
登場回数:1作

竹崎 季長(たけさき すえなが / たけざき すえなが、寛元4年〈1246年〉- 没年不詳)は、鎌倉時代中期の武士。鎌倉幕府御家人。元寇における自身の戦いが描かれた『蒙古襲来絵詞』で知られる。
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中浦ジュリアン

なかうら ジュリアン(1568-1633)
登場回数:1作

中浦 ジュリアンは、肥前国中浦(現・長崎県西海市西海町中浦)に生まれた安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタンで、天正遣欧少年使節の副使。イエズス会士でカトリック教会の司祭となり、殉教して福者となった。中浦は地名、ジュリアンは洗礼名で、幼名は小佐々甚吾(こざさ じんご)。
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中条景泰

なかじょう かげやす(1558-1582)
登場回数:1作
別名:沙弥法師丸

中条 景泰(なかじょう かげやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。中条氏21代当主。沼垂郡(北蒲原郡)奥山庄の鳥坂城主。上杉氏の家臣。揚北衆三浦党の一人。
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中島信行

なかじま のぶゆき(1846-1899)
登場回数:3作

中島 信行(なかじま のぶゆき、1846年10月5日〈弘化3年8月15日〉 - 1899年〈明治32年〉3月27日)は、日本の政治家。衆議院議員、初代衆議院議長。従三位・勲二等・男爵。通称は作太郎。 長男は中島久万吉。最初の妻は陸奥宗光の妹の中島初穂(1877年死去)で、後妻は女性解放運動家の岸田俊子。
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朝倉宣正

あさくら のぶまさ(1573-1637)
登場回数:2作

朝倉 宣正(あさくら のぶまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。徳川氏の家臣で、徳川忠長の御附家老となった。遠江掛川城主であったが、あくまで忠長の家老という立場であったため、幕府からは正式な大名として認められていなかった。
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長岡謙吉

ながおか けんきち(1834-1872)
登場回数:3作

長岡 謙吉(ながおか けんきち、天保5年(1834年)- 明治5年6月11日(1872年7月16日))は、幕末期の土佐藩出身者。海援隊の隊員の一人。別名は今井純正、敦美、恂。字は子行。号は懐山。
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長谷川秀一

はせがわ ひでかず(?-1594)
登場回数:1作

長谷川 秀一(はせがわ ひでかず)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
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鳥羽天皇

とばてんのう(1103-1156)
登場回数:2作
別名:宗仁/鳥羽上皇/鳥羽法皇

鳥羽天皇(とばてんのう、旧字体:鳥羽、1103年2月24日〈康和5年1月16日〉- 1156年7月20日〈保元元年7月2日〉)は、日本の第74代天皇(在位: 1107年8月9日〈嘉承2年7月19日〉- 1123年2月25日〈保安4年1月28日〉)。諱は宗仁(むねひと)。 堀河天皇の皇子。母は贈皇太后・藤原苡子。子の崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の3代28年にわたり院政を敷いた。
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