偉人

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橘公長

たちばな の きみなが(?-?)
登場回数:1作

橘 公長(たちばな の きみなが)は、平安時代末期の武士。官職は右馬允。
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宮川房長

みやがわ ふさなが(?-1554)
登場回数:1作

宮川 房長(みやがわ ふさなが)は、戦国時代の武将。陶氏の家臣。周防国玖珂郡高森城主。
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恭雲院

きょううんいん(?-?)
登場回数:2作

恭雲院(きょううんいん、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。甲斐武田氏の家臣・真田幸綱(幸隆)の正室。
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玉木彦助

たまき ひこすけ(1841-1865)
登場回数:2作

玉木 彦助(たまき ひこすけ)は、江戸時代末期(幕末)の長州藩士。玉木文之進の嗣子で吉田松陰の従弟である。諱は正弘。藩吏子弟として初の諸隊入隊者であった。
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近衛忠煕

このえ ただひろ(1808-1898)
登場回数:6作

近衛 忠熙(このえ ただひろ)は、江戸時代後期の公卿。官位は従一位・左大臣、関白。贈正一位。勲一等。翠山と号す。 左大臣を務めた近衛基前の長男として生まれ、近衛家の第27代当主となった。母は徳川宗睦の養女(松平義当の娘)・静子。左大臣や関白などを歴任し、公武合体派として活動した。
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金原亭馬生

きんげんてい ばしょう(1928-1982)
登場回数:1作

十代目 金原亭 馬生(きんげんてい ばしょう、1928年〈昭和3年〉1月5日 - 1982年〈昭和57年〉9月13日)は、東京市出身の落語家である。本名∶美濃部 清(みのべ きよし)。
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九条幸家

くじょう ゆきいえ(1586-1665)
登場回数:1作

九条 幸家(くじょう ゆきいえ)は、江戸時代初期の公家。藤原氏摂関家九条流の九条家の当主。関白・左大臣に昇った。初名は忠栄(ただひで)。また一字名として「勻」とも。
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熊川熊次郎

くまがわ くまじろう(?-1863)
登場回数:1作

熊川 熊次郎(くまがわ くまじろう、? - 1863年(文久3年)7月19日(旧暦6月4日))は、肥後国出身の元大相撲力士(大坂相撲)。本名は不明。
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桂元澄

かつら もとずみ(1500-1569)
登場回数:1作

桂 元澄(かつら もとずみ)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。安芸国桂城主、桜尾城主。父は桂広澄。
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建礼門院右京大夫

けんれいもんいんうきょうのだいぶ(1157-?)
登場回数:1作

建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ、保元2年(1157年)? - 没年未詳)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての女流歌人。父は藤原(世尊寺)伊行。母は大神基政の娘で箏の名手である夕霧。名は伊子という説がある。承安3年(1173年)高倉天皇の中宮建礼門院平徳子に右京大夫として出仕。藤原隆信、平資盛と恋愛関係にあり、資盛の死後、供養の旅に出たという。建久6年(1195年)頃後鳥羽天皇に再び出仕した。 家集に隆信、資盛との恋の歌を中心とする「建礼門院右京大夫集」がある。 『山路の露』の作者であるとする説がある。
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