偉人

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原田一道

はらだ いちどう(1830-1910)
登場回数:1作

原田 一道(はらだ いちどう / かづみち、文政13年8月21日(1830年10月7日) - 明治43年(1910年)12月8日)は、江戸幕府旗本、幕末・明治期の兵学者、日本陸軍軍人。陸軍少将正二位勲一等男爵。
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源義高

みなもと の よしたか(1173-1184)
登場回数:3作

源 義高(みなもと の よしたか)は、平安時代末期の河内源氏の流れを汲む信濃源氏の武将。清水冠者(志水冠者)と号す。木曾義高とも。源義仲の嫡男。母は『尊卑分脈』では今井兼平の娘としているが、兼平は義仲と同年代の乳母子なので、義高の母は兼平の妹(中原兼遠の娘)と推定されている。 諱(実名)は文献によって異なり「義高」は『吾妻鏡』の記述によるものである。延慶本『平家物語』や『尊卑分脈』では「義基」、長門本『平家物語』では「義隆(または義守)」、覚一本『平家物語』では「義重」、『曽我物語』では「義衡」となっており、『源平盛衰記』では「清水冠者」とのみ記され諱は記されていない。義高についての諸書の記述は説話的な題材や虚構も交えられていることもあり信憑性に乏しい。他の史料との整合性や比較批評が必要である。
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源朝長

みなもと の ともなが(1143-1160)
登場回数:1作

源 朝長(みなもと の ともなが)は、平安時代末期の武将。源義朝の次男。母は波多野義通の妹。源頼朝・義経の異母兄。相模国松田郷を領して松田冠者(まつだのかじゃ)と号した。また、松田殿とも呼ばれた。 父や兄弟とともに平治の乱で平清盛らと戦うが敗れ、父や兄弟とともに東国へ落ちる途中で僧兵の落人狩りで負傷し、傷が悪化して死亡した。
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古高俊太郎

ふるたか しゅんたろう(1829-1864)
登場回数:6作

古高 俊太郎(ふるたか しゅんたろう、文政12年4月6日(1829年5月8日) - 元治元年7月20日(1864年8月21日)は、江戸時代末期(幕末)の攘夷派の志士。諱は正順(まさより)。変名・湯浅喜右衛門。
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虎哉宗乙

こさい そういつ(1530-1611)
登場回数:1作

虎哉 宗乙(こさい そういつ、享禄3年(1530年) - 慶長16年5月8日(1611年6月18日))は、戦国時代から江戸時代にかけての臨済宗妙心寺派の僧。諡号は仏海慈雲禅師。
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後藤信康

ごとう のぶやす(1556-1614)
登場回数:1作

後藤 信康(ごとう のぶやす)は、戦国時代から江戸時代の武将。陸奥・出羽の戦国大名である伊達氏の家臣。
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孝勝院

こうしょういん(1607-1659)
登場回数:1作
別名:振姫

孝勝院(こうしょういん、慶長12年4月21日(1607年6月15日) - 万治2年2月5日(1659年3月27日))は、仙台藩主伊達忠宗の正室。姫路藩主池田輝政の次女で、母は徳川家康の次女・督姫。名は振姫(ふりひめ)。3代将軍徳川家光や水戸藩主徳川光圀は従兄弟にあたる。
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江幡広光

えばた ひろみつ(1838-1864)
登場回数:2作
別名:江幡貞七郎

江幡 広光(えばた ひろみつ)は、幕末の水戸藩士。
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香川敬三

かがわ けいぞう(1839-1915)
登場回数:1作

香川 敬三(かがわ けいぞう、天保10年11月15日(1839年12月20日) - 大正4年(1915年)3月18日)は、水戸藩出身の勤皇志士。東山道軍総督府大軍監・皇后宮大夫・皇太后宮大夫・枢密顧問官。諱は広安。旧姓は蓮田。幼名は、了介または徳松。旧名、鯉沼 伊織(こいぬま いおり)。変名は、小林彦次郎。明治になり香川広安、のちに敬三に改名。士族だったが、華族に編入される。爵位制度ができると子爵となり、のちに伯爵位。従一位勲一等旭日桐花大綬章。生年は天保12年(1841年)という説もある。墓所は青山霊園。
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高坂昌元

こうさか まさもと(?-1582)
登場回数:1作

高坂 昌元(こうさか まさもと)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の家臣で譜代家老衆。高坂昌信(春日虎綱)の次男である。名は信達(のぶさと/のぶたつ)ともいわれる。また、父の昌信も高坂姓を名乗ったのはわずかな期間であり、晩年は春日姓であったことから、春日昌元(春日信達)が正しい名乗りと思われる。
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