偉人

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大石弥太郎

おおいし やたろう(1829-1916)
登場回数:1作

大石 弥太郎(おおいし やたろう、1829年11月30日(文政12年10月17日) - 1916年(大正5年)10月30日)は、日本の土佐藩士、迅衝隊士。弥太郎は通称で、諱は初め元敬、のち圓(まどか)と改めた。位階は従五位。 土佐勤王党結成に尽力し、盟約書の起草を手掛けるなど同党幹部として活動、戊辰戦争においては板垣退助の率いる迅衝隊で小軍監などを務め各地を転戦した。明治維新後は新政府に出仕するが程なく辞し、以降は高知政界における「古勤王党派」の中心人物として影響力を有した。 同じく勤王党員で吉田東洋暗殺の実行犯の大石団蔵は従兄弟にあたる。
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大庭景義

おおば かげよし(1128-1210)
登場回数:1作

大庭 景義(おおば かげよし)は平安時代後期から鎌倉時代初期の武将。景能とも表記。桓武平氏支流、鎌倉景正の曾孫(『尊卑分脈』)。
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大野治房

おおの はるふさ(?-?)
登場回数:4作

大野 治房(おおの はるふさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣氏の家臣。茶人。
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鷹司政通

たかつかさ まさみち(1789-1868)
登場回数:4作

鷹司 政通(たかつかさ まさみち)は、江戸時代の公家。東山天皇の男系四世子孫。父は関白・鷹司政煕、母は正室・蜂須賀儀子。正室は徳川治紀の娘・鄰姫(清子)。
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竪山利武

たてやま としたけ(?-?)
登場回数:1作

竪山 利武(たてやま としたけ、生没年不詳)は、幕末の薩摩藩士。諱は利武。通称は武兵衛。島津斉興、島津斉彬、島津忠義の3代に仕え、側役や側用人、当番頭、勘定奉行を務める。また高隅郷、山川郷、串木野郷地頭を務める。
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池上四郎

いけのうえ しろう(1842-1877)
登場回数:1作

池上 四郎(いけのうえ しろう、天保13年(1842年) - 明治10年(1877年)9月24日)は、幕末の薩摩藩士、明治時代初期の軍人である。名は貞固、通称は四郎左衛門というが、明治になってからは四郎と称した。
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竹中重義

たけなか しげよし(?-1634)
登場回数:1作

竹中 重義(たけなか しげよし)は、江戸時代初期の大名。豊後国府内藩2代藩主。初代藩主・竹中重利の長男で竹中半兵衛の甥である
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中岡慎太郎

なかおか しんたろう(1838-1867)
登場回数:8作

中岡 慎太郎(なかおか しんたろう、天保9年4月13日〈グレゴリオ暦1838年5月6日〉 - 慶応3年11月17日〈1867年12月12日〉)は、日本の幕末の志士。陸援隊隊長。贈正四位(1891年〈明治24年〉4月8日)。
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中条藤資

なかじょう ふじすけ(?-1568)
登場回数:1作

中条 藤資(なかじょう ふじすけ)は、戦国時代の武将。越後国の国人領主中条氏の第19代当主。沼垂郡(北蒲原郡)奥山庄の鳥坂城主。揚北衆三浦党で、七手組大将の一人。上杉謙信の家臣筆頭として晩年まで第一線で活動を続けた。
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中牟田倉之助

なかむた くらのすけ(1837-1916)
登場回数:1作

中牟田 倉之助(なかむた くらのすけ、1837年3月30日(天保8年2月24日) - 1916年(大正5年)3月30日)は、日本の海軍軍人。海軍大学校長、枢密顧問官、子爵。幼名は武臣。金丸孫七郎の次男だったが、中牟田家の養子となる。
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