治承・寿永の乱
時期 | 1180年 |
治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる国内各地の内乱であり、平氏政権(平清盛を中心とする伊勢平氏#正盛流)に対する反乱である。 後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機に起こり、反乱勢力同士の対立がありつつも、最終的には平氏政権は打倒された。源頼朝を中心とした主に坂東平氏から構成される武士集団が平氏政権勢力打倒の中心的役割をつとめ、新たな武力政権である関東政権(鎌倉幕府)の樹立に至った。 一般的には「源平合戦(げんぺいかっせん、げんぺいがっせん)」、「源平争乱(げんぺいそうらん)」、あるいは「源平の戦い(げんぺいのたたかい)」などの呼称が用いられることがあるが、こうした呼称を用いることは適当でないとする議論がある。 また、奥州合戦終結までを治承寿永の乱に含めるという見解もある。