川中島の戦い(第二次)
別名 | 犀川の戦い |
時期 | 1555年 |
川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)は、日本の戦国時代に、北信濃の支配権をめぐり、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と、越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で行われた数次の戦い。双方が勝利を主張した。 最大の激戦となった第四次の戦は千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である川中島(現在の長野県長野市南郊)の八幡原史跡公園周辺が主戦場だったと推定されている。また、その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いとされる。 川中島の戦いの主な戦闘は、計5回、12年余りに及ぶ。実際に「川中島」で戦闘が行われたのは、第二次の犀川の戦いと第四次のみであり、一般に「川中島の戦い」と言った場合、最大の激戦であった第4次合戦(永禄4年9月9日(1561年10月17日)から10日(18日))を指すことが多く、一連の戦いを甲越対決として区別する概念もある(柴辻俊六による)。 第一次合戦:天文22年(1553年) 第二次合戦:天文24年(1555年) 第三次合戦:弘治3年(1557年) 第四次合戦:永禄4年(1561年) 第五次合戦:永禄7年(1564年)戦いは、上杉氏側が北信濃の与力豪族領の奪回を、武田氏側が北信濃の攻略を目的とした。武田氏の支配地は着実に北上している。