基本情報
石田 為久(いしだ ためひさ、生没年未詳)は、平安時代末期の相模国大住郡糟屋庄石田郷(現在の神奈川県伊勢原市)の武将。通称は次郎。三浦氏の一族で、三浦義明の従孫、蘆名為清の孫、為景の子(『三浦系図』)。 治承・寿永の乱において鎌倉方として源義仲討伐軍に加わる。寿永3年(1184年)正月21日、義仲が粟津の戦いで敗北し、北国へ落ち延びる道中、馬が粟津の松原で深田にはまり込んで動けなくなった所を、矢を放って義仲の兜の内側を射抜いた。義仲が倒れた所を為久の郎党2人が駆けつけ、その首を取った(『平家物語』木曾最期)。『吾妻鏡』(元暦元年正月20日条)にも義仲が相模国住人石田為久により討たれた事が記されている。『愚管抄』では義仲を討ち取ったのは伊勢義盛としている。
名前 | 石田為久 |
よみ | いしだ ためひさ |
性別 | 男性 |
生年 | 不詳 |
没年 | 不詳 |
登場作品 21位/21位 | 1回 |
出演情報
草燃える(1979年)
富士野幸夫
出典:NHK
タイトル | 役者/年齢 | 役名/出演回数 |
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1979年 | 富士野幸夫 | 石田為久 |
草燃える | - | 1回/全51回 |