徳川慶壽
とくがわ よしひさ(1823-1847)
登場回数:1作
徳川 慶壽(とくがわ よしひさ)は、江戸時代後期の御三卿・一橋徳川家の7代当主。 文政6年(1823年)3月4日、田安徳川家当主・徳川斉匡の五男として生まれる。官位は従三位左近衛権中将、民部卿、参議、贈権中納言。天保9年(1838年)5月25日、先代当主・徳川慶昌が死去して明屋敷となっていた一橋徳川家の家督を継承する。同年9月5日に元服し、将軍徳川家慶から偏諱を受けて慶壽と名乗り、従三位左近衛権中将に叙される。 天保12年(1841年)12月2日に貞敬親王の王女・東明宮直子と婚姻する。弘化3年(1846年)12月1日に参議に任じられた。 弘化4年(1847年)5月7日、25歳で死去した。法号は承休院。嘉永6年(1853年)2月10日に権中納言が追贈された。 嗣子がなかったため、尾張藩主・徳川斉荘(元は斉匡の養子で田安家当主、血縁上は慶壽の従兄)の長男・昌丸を末期養子として跡を継がせた。