細川幽斎
ほそかわ ゆうさい(1534-1610)
登場回数:14作
別名:細川藤孝
細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい) / 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、戦国大名、歌人。幼名は万吉(まんきち)。元服して藤孝を名乗る。雅号は幽斎。法名を玄旨という。 初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は織田信長の協力を得て15代将軍・足利義昭の擁立に尽力した。後に義昭が信長に敵対して京都を追われると、信長に従って名字を長岡に改め、勝竜寺城主を経て丹後国宮津11万石の大名となった。本能寺の変の後、信長の死に殉じて剃髪して家督を忠興に譲ったが、その後も豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎となった。また、二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもあった。