偉人

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松平忠輝

まつだいら ただてる(1592-1683)
登場回数:4作
別名:辰千代

松平 忠輝(まつだいら ただてる)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての大名。
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松平頼純

まつだいら よりずみ(1641-1711)
登場回数:1作

松平 頼純(まつだいら よりずみ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。伊予西条藩の初代藩主。官位は従四位下・権少将、左京大夫。
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上杉景勝

うえすぎ かげかつ(1556-1623)
登場回数:7作
別名:上杉顕景

上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権の五大老の一人。米沢藩の初代藩主。山内上杉家17代目。 上田長尾家出身で、初名は長尾顕景。同じ長尾家出身の叔父・上杉謙信の養子となり、名を上杉景勝と改めた。実子のいない謙信の死後、上杉家の家督相続を争った御館の乱で勝利し、謙信の後継者として上杉家の当主となった。 豊臣秀吉に仕え、豊臣家五大老の1人として、会津藩120万石(「上杉家記」では120万1200石余、上方の在京領は除く)を領した。秀吉の死後、徳川家康が景勝討伐に向かい関ヶ原の戦いが幕開け、景勝は石田三成ら西軍に付き敗北した。戦後に、徳川家康から上杉家の存続は許されたが米沢藩30万石へ減封となった。
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上泉信綱

かみいずみ のぶつな(1508-1577)
登場回数:1作

上泉 信綱(かみいずみ のぶつな、あるいは、こういずみ のぶつな〈cf. 〉。永正5年〈1508年〉? - 天正5年1月16日〈1577年2月3日〉?)は、戦国時代の日本の兵法家で武将。一時期の武家官位名を添えた「上泉 伊勢守( - いせのかみ)」の名でもよく知られる(cf. 武家官位としての伊勢守)。上泉氏の本貫地の出身で、出生地は上野国勢多郡桂萱郷上泉村(現・群馬県前橋市上泉町内)あるいはその近傍とされる (cf. )。生年は推測 (cf. )、没年は天正10年(1582年)など諸説ある (cf. )。 剣聖と讃えられる剣豪の一人で、新陰流の祖。
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織田秀孝

おだ ひでたか(?-1555)
登場回数:1作
別名:喜六郎

織田 秀孝(おだ ひでたか)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。織田信秀の子。通称は喜六郎。
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織田信定

おだ のぶさだ(?-1538)
登場回数:1作

織田 信定(おだ のぶさだ)は、戦国時代の武将。尾張国の織田大和守家(清洲織田氏)に仕える清洲三奉行の1つである織田弾正忠家の当主。勝幡城城主。信定は信貞とも書く。織田信秀の父であり、織田信長の祖父。
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新田義貞

にった よしさだ(1301-1338)
登場回数:1作

新田 義貞(にった よしさだ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。姓名は源 義貞(みなもと の よしさだ)。河内源氏義国流新田氏本宗家の8代目棟梁。父は新田朝氏、母は不詳(諸説あり)。官位は正四位下、左近衛中将。明治15年(1882年)8月7日贈正一位。建武の元勲の1人。
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森長可

もり ながよし(1558-1584)
登場回数:6作

森 長可(もり ながよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系、河内源氏の棟梁・源義家の六男・義隆を祖とする森氏(仮冒の説あり)。父は森可成。兄に森可隆、弟に森成利ら。受領名は武蔵守。
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真田信吉

さなだ のぶよし(1595-1635)
登場回数:1作

真田 信吉(さなだ のぶよし)は、江戸時代前期の大名。上野国沼田藩2代藩主。真田信幸(信之)の長男。母は清音院殿(真田信綱の娘)。
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神谷守孝

かみや もりたか(?-1632)
登場回数:1作

神谷 守孝(かみや もりたか、? - 寛永9年6月3日(1632年7月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、加賀藩前田家の家臣。幼名は左介、通称は左近、信濃守。妻は中川光重の娘・献珠院(前田利家の外孫)。
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