偉人

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日根野弘就

ひねの ひろなり(1518-1602)
登場回数:3作

日根野 弘就(ひねの ひろなり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。美濃本田城主。
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入江九一

いりえ くいち(1837-1864)
登場回数:3作

入江 九一(いりえ くいち)は、日本の武士(長州藩士)。別名は河島小太郎。
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馬場信春

ばば のぶはる(1515-1575)
登場回数:6作
別名:馬場信房

馬場 信春 / 馬場 信房(ばば のぶはる / ばば のぶふさ)は、戦国時代の武将。後代には武田四天王の一人に数えられる。文献によっては房信とも。 武田信虎、信玄、勝頼の三代に渡り仕えた歴戦の重臣だったが、長篠の戦いで討ち死にした。
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薄田兼相

すすきだ かねすけ(?-1615)
登場回数:2作

薄田 兼相(すすきだ かねすけ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将である。通称は隼人正。豊臣秀頼に仕えた。兼相の前身は講談で知られる岩見 重太郎(いわみ じゅうたろう)といわれている。
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塙直之

ばん なおゆき(1567-1615)
登場回数:3作
別名:塙団右衛門

塙 直之(ばん なおゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。諱は直次、尚之とも。通称は長八、後に団右衛門に改めた。一時、出家した際には鉄牛と号した。 後世、『難波戦記』などの軍記物や岩見重太郎の講談などで有名になったため、塙 団右衛門(ばん だんえもん)の名でも知られる。
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飯富虎昌

おぶ とらまさ(1504-1565)
登場回数:3作

飯富 虎昌(おぶ とらまさ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の重臣。 武田信虎の時代から武田家の譜代家老衆として仕え、信濃国佐久郡内山城を領した。信虎追放後は、信玄に仕えた。信玄の信任厚く、嫡男武田義信の傅役や赤備えを率いる大任を務めたが、義信事件に連座し、切腹させられた。名は虎昌とされるが、義信側近が連署した「二宮祭礼帳」にその名は見当たらず、検討の余地がある。
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尾上菊五郎

ごだいめ おのえ きくごろう(1844-1903)
登場回数:1作

五代目 尾上菊五郎(ごだいめ おのえ きくごろう、1844年7月18日(天保15年6月4日)- 1903年(明治36年)2月18日)は、明治時代に活躍した歌舞伎役者。本名は寺島 清(てらしま きよし)。 尾上菊五郎としての屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に梅幸。 市村羽左衛門としての屋号は菊屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に家橘。 九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」の黄金時代を築いた。
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富森正因

とみのもり まさより(1670-1703)
登場回数:4作
別名:富森助右衛門

富森 正因(とみのもり まさより、寛文10年(1670年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は助右衛門(すけえもん)。
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武田信虎

たけだ のぶとら(?-1574)
登場回数:3作

武田 信虎(たけだ のぶとら)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。武田信玄の父。甲斐源氏第18代当主。武田氏15代当主。
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服部武雄

はっとり たけお(1832-1867)
登場回数:1作

服部 武雄(はっとり たけお、天保3年(1832年) - 慶応3年11月18日〈1867年12月13日〉)は、新選組隊士・御陵衛士。通称は三郎兵衛。
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