偉人

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室賀正武

むろが まさたけ(?-1584)
登場回数:1作

室賀 正武(むろが まさたけ)は、戦国時代の信濃国の武将。信濃国小県郡の国衆。
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若狭局

わかさのつぼね(?-1203)
登場回数:2作

若狭局(わかさのつぼね、生年未詳 - 建仁3年〈1203年〉)は、鎌倉時代初期の女性。父は鎌倉幕府の御家人比企能員。母は『愚管抄』によるとミセヤノ太夫行時の娘。鎌倉幕府二代将軍源頼家の妻妾。頼家の庶子一幡の母。竹御所も若狭局の所生とする説がある。
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酒井忠世

さかい ただよ(1572-1636)
登場回数:3作
別名:万千代

酒井 忠世(さかい ただよ)は、江戸時代初期の大名。江戸幕府の老中、大老。上野国那波藩主、伊勢崎藩主を経て厩橋藩の第2代藩主。雅楽頭系酒井家7代。 後世に成立した新井白石『藩翰譜』や『武野燭談』などの史料から、土井利勝や青山忠俊とともに家光が師事したとされる「三臣師傅説」に数えられている。
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秋山虎繁

あきやま とらしげ(1527-1575)
登場回数:1作
別名:秋山信友

秋山 虎繁(あきやま とらしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐国武田氏家臣で譜代家老衆。武田信玄・勝頼期に活動が見られる。武田二十四将にも数えられる。 諱は『甲斐国志』による「信友(のぶとも)」や、近世の軍記物に拠る「春近(はるちか)」「晴近(はるちか)」「信近(のぶちか)」とする説もあったが、近年は『戦国遺文』『山梨県史』の編纂事業に伴う文書調査によって武田家臣の実名の確定作業が行われ、確実な諱は署判部分の写により「虎繁」であることが指摘されている。「虎」は武田信虎からの偏諱であると考えられている。また、実名の誤伝のうち「晴近」は虎繁の同心である「春近衆」が訛伝したと考えられている。
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春日源之丞

かすが げんのじょう(?-?)
登場回数:1作

春日 源之丞(かすが げんのじょう、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣で親族衆武田信繁の家臣。
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勝沼信友

かつぬま のぶとも(?-1535)
登場回数:1作

勝沼 信友(かつぬま のぶとも)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の一族で、武田信虎の同母弟。武田信玄(晴信)の叔父にあたる。
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小笠原唯八

おがさわら ただはち(1829-1868)
登場回数:1作
別名:牧野群馬

小笠原 唯八(おがさわら ただはち、文政12年(1829年) - 慶応4年8月25日(1868年10月10日))は、幕末の勤皇派土佐藩士。江戸町奉行を務めたが戊辰戦争で討死。諱は茂敬(しげよし)。のち牧野群馬と改める。贈正五位。板垣退助とならぶ土佐藩内における武力討幕派の重鎮の一人。先祖は三河国奥平氏(日近奥平家)で、一時期松平姓も許された名族。
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小寺休夢

こでら きゅうむ(1525-1594)
登場回数:1作

小寺 休夢(こでら きゅうむ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。実名は高友(たかとも)。茶人として著名であり、休夢斎(きゅうむさい)の号で知られる。
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小川笙船

おがわ しょうせん(1672-1760)
登場回数:1作

小川 笙船(おがわ しょうせん、寛文12年(1672年) - 宝暦10年6月14日(1760年7月26日))は、江戸時代の町医者で漢方医。山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」の主人公"赤ひげ先生"のモデルとして知られる。諱は弘治。小川祐忠の子孫。
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小野寺秀富

おのでら ひでとみ(1676-1703)
登場回数:4作
別名:小野寺幸右衛門

小野寺 秀富(おのでら ひでとみ、延宝4年(1676年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は幸右衛門(こうえもん)。大高忠晴の二男。本姓は藤原氏。家紋は木瓜。
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