偉人

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北条時広

ほうじょう ときひろ(1222-1275)
登場回数:1作

北条 時広(ほうじょう ときひろ)は鎌倉時代中期の北条氏の一門。父は北条時房の次男・北条時村。 父時村は承久2年(1220年)に弟(時広の叔父)の資時と共に出家し、嘉禄元年(1225年)12月に没した。時広は祖父時房の養子となり、引付衆、評定衆、四番引付頭人の要職を務めた。建治元年(1275年)6月25日、54歳で没。 男子はなく、時村流は時広の甥で兄時隆の子宗房が継いでいる。 和歌が得意で将軍の歌席寄人や歌仙結番に選ばれている。北条家一門随一の風流文化人でもあった。
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北条政範

ほうじょう まさのり(1189-1204)
登場回数:2作

北条 政範(ほうじょう まさのり)は鎌倉時代初期の武将。父は北条時政、母は時政の後妻の牧の方。
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北畠具行

きたばたけ ともゆき(1290-1332)
登場回数:1作

北畠 具行(きたばたけ ともゆき、正応3年(1290年) - 正慶元年/元弘2年6月19日(1332年7月12日))は、鎌倉時代末期の公卿。村上源氏北畠家庶流・北畠師行の次男。兄に雅行。
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堀秀政

ほり ひでまさ(1553-1590)
登場回数:3作
別名:堀菊千代/堀久太郎

堀 秀政(ほり ひでまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田信長や豊臣秀吉に仕え、最終的に越前国北ノ庄の大名となった。
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堀尾忠氏

ほりお ただうじ(1578-1604)
登場回数:2作

堀尾 忠氏(ほりお ただうじ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。出雲国松江藩の初代藩主。
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本多政重

ほんだ まさしげ(1580-1647)
登場回数:1作

本多 政重(ほんだ まさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。本多正信の次男。子に榎本藩第2代藩主・本多政遂など。
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万里小路季房

までのこうじ すえふさ(?-1333)
登場回数:1作

万里小路季房(までのこうじ すえふさ)は、鎌倉時代末期の公卿。大納言・万里小路宣房の二男。官位は正四位下・参議、右大弁、中宮亮。季房は後醍醐天皇の倒幕運動に関わったが、子・仲房は北朝に仕え、万里小路家は北朝政権と足利将軍家で重きをなしていくことになる。
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椋梨藤太

むくなし とうた(1805-1865)
登場回数:2作

椋梨 藤太(むくなし とうた)は、日本の武士・長州藩士。長門国の萩に生まれた。諱は景治。
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毛内有之助

もうない ありのすけ(1835-1867)
登場回数:1作

毛内 有之助(もうない ありのすけ、1835年3月26日(天保6年2月28日) - 1867年12月13日(慶応3年11月18日))は、新選組隊士、御陵衛士。諱を良胤、通称は監物(けんもつ)。
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毛利勝永

もうり かつなが(1578-1615)
登場回数:3作

毛利 勝永(もうり かつなが)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。豊臣氏の家臣。大坂の陣で活躍。また、大坂城入りを励ました妻は戦前は銃後の守りの手本として『婦女鑑』(明治20年)などに取り上げられている。 勝永という諱は一次史料で確認できない。発給文書は全て吉政(よしまさ)と署名しており、史料では毛利吉政(森吉政)。この吉政の「政」は龍造寺政家からの一字拝領である。
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