偉人

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蘆名義広

あしな よしひろ(1575-1631)
登場回数:1作

蘆名 義広(あしな よしひろ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、武将。
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近衛経忠

このえ つねただ(1302-1352)
登場回数:1作
別名:後猪熊殿/堀河殿/堀川関白

近衛 経忠(このえ つねただ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。関白・近衛家平の子。官位は従一位・関白、左大臣。近衛家8代当主。号に後猪熊関白、堀河関白など。従弟基嗣との家門争いに敗れ、南朝に仕えた。
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折田要蔵

おりた ようぞう(1825-1897)
登場回数:1作

折田 要蔵(おりた ようぞう)は、幕末の薩摩藩士。砲術家。湊川神社初代宮司。名は年秀。
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三田村国定

みたむら くにさだ(?-1573)
登場回数:2作

三田村 国定(みたむら くにさだ、生年不詳 - 1573年)は、戦国時代の武将。浅井氏家臣。三田村城(現在の滋賀県長浜市)城主。
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高杉東一

たかすぎ とういち(1864-1913)
登場回数:1作

高杉 東一(たかすぎ とういち、元治元年(1864年)10月 - 大正2年(1913年)7月11日)は、明治時代の外交官。高杉晋作の長男。母は雅子。幼名は梅之進。名は春雄とも。
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川路高子

かわじ たかこ(1804-1884)
登場回数:1作

川路 高子(かわじ たかこ、文化元年(1804年) - 明治17年(1884年)10月12日)は江戸幕府外国奉行川路聖謨の継室。諸大名屋敷に宮仕した後、天保9年(1838年)勘定吟味役川路聖謨に嫁ぎ、奈良、大坂へ赴任、戊辰戦争中聖謨に自決されつつ下総国平沢村へ疎開し、江戸へ帰り没した。
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川路寛堂

かわじ かんどう(1845-1927)
登場回数:1作
別名:川路太郎

川路 寛堂(かわじ かんどう、弘化元年12月21日(1845年1月28日) - 昭和2年(1927年)2月5日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和の旗本、大蔵省官僚、教育者。川路聖謨の孫に当たる。通称は太郎、諱は温、寛堂は号だが、伊藤博文秘書役時代、公文書に寛堂と署名していたため、本名も寛堂になったという。
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河津祐邦

かわづ すけくに(1821-1873)
登場回数:1作
別名:河津三郎太郎

河津 祐邦(かわづ すけくに、文政4年(1821年) - 明治6年(1873年)。生年不明 - 明治元年(1868年)とも)は、江戸幕府の旗本。別名・河津三郎太郎。徒目付として蝦夷調査ののち、新徴組組頭を経て、外国奉行として横浜鎖港談判使節団参加。幕末に勘定奉行、関東郡代、長崎奉行、外国事務総裁などの重職を歴任した。家禄は100俵高。官職名は伊豆守。号に龍門など。
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シャルル・シャノワーヌ

しゃるる・しゃのわーぬ(1835-1915)
登場回数:1作

シャルル・シュルピス・ジュール・シャノワーヌ(仏: Charles Sulpice Jules Chanoine、1835年12月18日 - 1915年1月9日)は、フランスの軍人。最終階級は陸軍大将。陸軍大臣(在任:1898年)。シャノアーヌの表記も。フランス軍事顧問団 (1867-1868)の一員。
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賢俊

けんしゅん(1299-1357)
登場回数:1作

賢俊(けんしゅん)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての真言宗の僧・歌人。第65代醍醐寺座主・東寺長者・大僧正。父は権大納言日野俊光。兄に日野資名・資朝。室町幕府初代将軍足利尊氏の腹心の一人。 建武の乱(1336年)で持明院統(後の北朝)の光厳上皇の院宣を足利尊氏に伝えるなど、幕府・北朝成立に主たる功績を果たした。室町幕府の初代武家護持僧(祈祷の霊力で征夷大将軍を守護する僧)を務め、並ぶ者のない権勢を得た。南朝護持僧の文観房弘真とは、真言宗の盟主の地位を激しく争ったとするのが伝統的通説だが、同時代史料を見る限り実際は文観とは緩やかな協調関係にあったとする説もある。 著作のうち『紙本墨書賢俊日記』・『紙本墨書弘法大師二十五箇條遺告賢俊筆』の2件が重要文化財に指定されている。歌人としては『風雅和歌集』以下の勅撰和歌集に10首が入集。
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